ITの側から農業に携わることになった人は今の農業シーンがどのような状況に置かれているかを考えてみる必要がある。一般の人が手にする農業に関する情報は、ある側面でメディアバイアスが掛かっていることを知らなくてはならない。いくつか例を挙げながら、今の日本の農業について、IT業界にいるものとしていくつか考察を述べる。
日本の農業シーンをいくつかの視点で見てみよう。
まず農業という産業の性質について考えなくてはならない。特にエレクトロニクスやIT業界の人が思い込みがちなのだが、農業はIT化が遅れているという考えである。これには主に2つのパターンがある。
一つ目。特に、IT業界の人は「IT業界成功モデル」を持ち込みたがるパターンである。例えば、今まで5億円の経費がかかっていた作業をITで合理化し、3億円に減らす――IT導入に1億円かけても元々かかっていた経費が5億円から3億円になったので、都合4億円になったのだから差し引き1億円の得ですね、だからこの1億円かかるIT導入による合理化の仕事ください、といった考え方だ。そこに農業はIT化が遅れていると聞くので、これは大きな市場だという思いで飛び込む。
ところが、どうも事態は違うという事に途中で気づく。なぜなら、確かにIT機器はあまり使われていない部分もあり、IT化が遅れているように見えるのだが、そもそも農業の現場に使えるIT機器は非常に少ない。農業といっても1つの産業として幾段かのプロセスがあるが、特に作物を栽培する現場でITによるコストダウンというのは難しい。
もちろん、いったん作物が収穫され、商品となった後は通常の商品を扱うための多くのITソリューションはあるので、大抵はそれらのソリューションを導入する話になんとなく寄っていくのである。そして、前述のIT化による合理化というのは適応範囲が限られたものであったと後から気づくのである。
2つ目。センサネットワークを作ればウケると思い込むパターンである。昨今M2M、IoTなど名前を変えて、色々なものにセンサが付いて云々、という話をよく聞かれるだろう。そこに着想を得て農業向けのセンサネットワークを作りたがる。
こうした取り組みに興味を持つのは、多くの場合ネットワークやセンサ事業者などである。いかに省電力で、伝搬距離が長いかとか長時間、例えば何年バッテリ駆動が可能かとかで得意の技術を披露し、人の好い農家などに持ち込み、「これ使えあれ使え」と強要したがる。正直に言うと私もそうだった。
初期「e-kakashi」(膨大な生育環境データや熟練農家の知識や勘をITで得るためのサービス)は、総務省ユビキタス特区でのプロジェクトとして援助をもらい、後に当時の事業仕分けで仕分けられる運命を背負ったものだったが、私を含む当時のe-kakashiプロジェクトチームは、センサネットワークを作り農家や生産法人に持ち込んだ。
農業関係者にしても、役に立つものを持ってきたに違いないと当然の期待を持ってくれているので、当初は中々良いスタートである。しかし、私たちは自分たちのスタンスと、実際の農業現場のニーズに大きな隔たりがあることに気づいていった。
その隔たりはまるで、両者の間には渡れない大きな川が流れているようだった。川の片岸はIT業界、もう一方は農業界である。その川を渡るために、私たち以外の多くのプロジェクトも私たちと同じように橋を架け、川の真ん中あたりで断念していた。私たち、IT側のスタンスはこうだ。
「今まで農業はIT化が遅れていたそうですね、でももう大丈夫。センサネットワークで環境情報を可視化しますよ、もう遠くまで温度を測りに行ったり、勘でやる必要はありません、なぜならこのIT機器は環境を可視化できるんですから」
胸が痛い。まさに私はそう言ったのだ。それに対して心優しい農業関係者の反応は「数値化できるのはうれしいですが、今までやっていた農作業をどのように変えればいいのですか?数値の意味をどうやって理解し、どう利用すればよいのかわかりません。今までそれなしでもできていたのですが、これを使うとどんな役に立つのでしょうか」というもの。
その通りだ。しかし、どこかの国の予算や投資家や会社のお金で見栄を切ってセンサネットワークを作った側はこれでは引けない。そこで言うのだ。
「私たちはITの人間で農業はわかりません。でも、生育環境などのデータを収集すればきっと役立つと思って作って来ました。まずは設置しますから使ってみて下さい、一緒に勉強しましょう。」
それに対して「勉強するのは大歓迎です。農業、栽培や環境にはわからない事だらけです。何ができるか工夫してみますよ。」
農業生産者は自分なりの知見を基にデータを取ってみようと試みる。しかし、IT屋が持ってきた照度センサは秋葉原で安く買ったもので、農業分野で必要な光子量は取れないとか、相対湿度センサだったから栽培指標に使えないとか、農業生産者の努力を無駄にする要素満載である事は当時誰も気づかなかった。
さらにIT業界の人間は直ぐにウェブカメラのような機能をセンサネットワークに組み込み、遠隔から画像で確認ができるとか、思いつくものを色々実装してみた。
秋葉原で買えるCCDユニットなどを奮発したりする。それを農業施設に設置するわけだ。屋外だとカメラではバッテリがもたないとか、雨風に耐えられないなどがあり困難を極めるのでそれの危機回避でもある。かくいう私も屋外にウェブカメラを設置して大きなバッテリで駆動させ害獣被害対策のシステムを構築したことがあるが、最大の敵はカメラに巣を張るクモだった。
カメラの目の前のクモの巣に朝露がついて風でフラフラ揺れるので画像認識は全滅だ。クモが巣を張るスピードは半端じゃなく早い。害獣被害対策のシステムが害虫被害を受けるという情けない状態も経験した。