編集部より:有名人の過去の発言や行動、SNSでの投稿を掘り出して、前後の文脈や時代背景を無視して問題視したり糾弾したりする現象「キャンセルカルチャー」が話題になっている。「キャンセルカルチャー」は芸能人やインフルエンサーが対象になることが多い。
IBMのスーパーコンピューター「Deep Blue」とチェスで対戦し、敗北したことで知られるGarry Kasparov氏は、人間とテクノロジーの関係性について造詣が深いことでも知られている。現在の「キャンセルカルチャー」についてKasparov氏に語ってもらった。
筆者のビデオシリーズ「Garry on Lockdown」の最新回で、作家であり評論家であるThomas Chatterton Williams氏と不快な行動を非難する「キャンセルカルチャー」について議論した。
冒頭で言っておくが、彼は、「キャンセルカルチャー」というフレーズは悪意を持って使用されることが多く、人によって定義が異なるため、適切だとは思っていない。ここでは「イデオロギーや感性を害する発言をした人を公に非難するトレンド」という意味で使っている。
Williams氏とは2020年初め、『Harper's Magazine』に掲載された公開文書「On Justice and Open Debate(正義と公開討論について)」への署名に招かれた際に知り合った。署名をするのは簡単な決断だった。
人々が仕事をなくしたり、評判の悪化を恐れたりした結果起こりうる、言論の自由に対する冷ややかな影響に反対しない人はいないだろう。また、イデオロギー的なグループがオンラインで暴徒を形成し、「不純」な者を非難するようなことは誰もが反対するのではないだろうか。単に意見の違いの問題ではなく、不正確な主張に反論したり、攻撃的な発言を検閲したりすることでもない。
これは、反応の性質と意図した効果に関する議論だ。この区別は、Jonathan Rauch氏が『Persuasion』で執筆した記事で非常にわかりやすく説明されていた。
批判は、説得するために合理的な証拠と議論を集めること。対照的に、キャンセルは、イデオロギー的反対派を孤立させたり、プラットフォームから脱却させたり、脅迫したりするために、社会またはメディア環境を組織化し、操作しようとするものだ。
さて、この公開文書とその署名者をめぐる論争から数カ月経ったが、筆者は署名したことが正しかったこと、そして、公開文書に書かれている問題が非常に現実的なだけでなく、筆者が評価したよりもさらに深刻だったと確信している。最初の反応は、公開文書に書かれている考え方ではなく、署名者を攻撃することだった。
署名した学者や作家はネット上で叩かれ、われわれの所属組織や出版社も批判された。そして、公開文書を書いた人や署名した人たちは、批判から身を守ろうとしている、社会正義と平等の新しい声に対する自分たちの立場を守ろうとしている、と非難された。
しかし、筆者を含めた署名者のほとんどは、すでに大きなプラットフォームと安定を確保できており、仕事を失ったり、貢献者や求職者として地位が危うくなったりする心配がなかった。
それどころか、筆者がこの公開文書に署名した主な理由の一つは、筆者の安定した立場を利用し、報復を恐れずにアイデアを共有するすべての人を守ること、安全な環境にない他の人たちを擁護することだと思っている。
言論の自由とは、単に自分が望むことを発言するだけではない。かつて、アメリカとソ連の両方に言論の自由があるというソ連のジョークがあったが、言論の後に自由があったのはアメリカだけだった。
これは重要な違いだ。筆者が育ったソ連の言論の自由の崩壊でも、今日の権威主義体制におけるフェイクニュースや国家統制による独裁的方法でもない。超党派主義とイデオロギー過激主義の環境の中で、正義の怒りとテクノロジーによって力を与えられた人々によって推進されているのだ。