これは筆者が経験してきた「検閲」ではないが、アイデアの自由な流れと、その流れに依存する民主主義や繁栄にとっては非常に悪いことである。
Williams氏が述べている「野次馬効果」は、人々が攻撃を恐れ、自己検閲するというものだ。
そのような環境の中で、どのようにして考えが悪質か判断できるのだろうか。不寛容によって、より公正な社会を実現するにはどうすればいいのだろうか。
Williams氏が言うように、われわれに必要なのは「攻撃するための最大の自由」であり、爆発するまで蓋をしておくことではない。
Williams氏は、テクノロジーが「キャンセルカルチャー」にもたらした役割を指摘する。SNS上に多くのコメントが集まり、大規模に拡散されるという影響は、まだ新しいものだ。誰もが即座に返信し、カメラ付きスマートフォンで他人の言動も監視できること、それは国家を持たない監視国家と同等だ。
「われわれは、前例のない大規模な実験の最中だ」と、Williams氏は表現している。われわれは、政府の規制と、無法地帯の西部開拓時代のようなSNS上の暴徒、そしてハイテク企業との間におり、その都度ルールを作っている。GoogleやFacebook、Twitterに何を言っても良いか決められたくなければ、自分たちで反撃する必要がある。
不当な報復の対象となった人たちを守るためには、単に黙っているだけではなく、人々が声を上げることが重要だ。攻撃的な言動によって解雇しようという声が殺到していても、考えを話す権利を守る流れがあれば、それを阻止することができるかもしれない。
これは自分の意見に反している、あるいは純粋に攻撃的であるかもしれない意見自体を擁護するものではない。これは原則であり、平等に適用されなければ、すべての意味を失ってしまう。George Orwellが『動物農場』の未発表版で書いたように「自由になにがしかの意味があるならそれは、人々が聞きたがらないことを人々に伝える権利のことだ」
この記事はAvastのブログを翻訳、編集したものです。
- Garry Kasparov
Human Right Foundation理事長
1963年旧ソ連アゼルバイジャン生まれ。現在はニューヨーク市在住。2005年からロシアの民主化運動を展開している。オックスフォード大学マーティンスクールの客員フェローとして、人と機械のコラボレーションを中心に講義を担当。ビジネスや学問、政治の領域を対象に意思決定、戦略、テクノロジー、人工知能をテーマとした講演活動を続けている。政治、認知、テクノロジー分野での執筆活動は大きな影響力を持っており、世界中の主要出版物で数多く取り上げられている。2016年にAvastのセキュリティアンバサダーに就任した。