IT産業では「サービス化」という名前はそれほど古くはありません。現在は課金体系から「サブスクリプション」(サブスク)モデルと呼ばれたり、サーバーインフラの面から「クラウド」と呼ばれたりしていますが、その起源は1990年代後半に出現した「ASP」(Application Service Provider)です。
この頃、業務システムのパッケージが全盛を迎え、多くのSIer(システムインテグレーター)がソフトウェアパッケージにSI(システム開発)を絡めて販売するようになっていました。ユーザー企業にとってはスクラッチでの手組みよりも時間と予算を節約できる一方で、導入時にカスタマイズしてしまうことでバージョンアップに対応できなくなり、結局SIerに支払うコストとベンダーに支払うライセンス保守料金に悩ませられることになりました。
ここにビジネスチャンスを見出し、パッケージを「サービス」として提供し市場を大きく変革したのがSalesforce.comをはじめとした新興ソフトウェアベンダーの「ASP」でした。やがて2006年頃から「SaaS」(Software as a Service)に、さらに「クラウド」へと呼称は変化しましたが、「利用に応じて課金する」という原則は変わっていません。
このサービス化の波はIT産業より前に1980年代から製造業で始まっていました。1981年に47歳の若さでGEのCEO(最高経営責任者)に就任したJack Welchの「GEはこれから販売した製品のサービスで収益を上げる企業になる」という言葉に端を発します。GEは火力発電用タービンや原子炉などの社会インフラを得意としていましたので、それらを24時間体制で監視するシステムを保有していました。
またGEはNASA(米航空宇宙局)を顧客として衛星の通信や制御に関する技術も持っていました。これらを組み合わせて航空機用ジェットエンジンに多くのセンサーを埋め込み、それを世界数カ所の遠隔モニタリングセンターで常時監視することによって、航空機の故障によるフライトキャンセルや、メンテナンス時間の大幅短縮に成功し、それを武器に大きなシェアを獲得しました。
GEはさらにこの技術をCTスキャンなどの医療機器に応用することで医療現場でのダウンタイムの圧倒的な短縮に成功し、当時のライバルであった日本の東芝、日立製作所、島津製作所などから日本の大病院のシェアを奪っていきました。日本メーカーは解像度などの医療機器本体の性能ではなく “サービス“ に敗れたことに気がつくのが遅れ、対応にも手間取って市場を失ってしまいました。
製造業のサービス化はジェットエンジンではRolls-RoyceがGEのサービス戦略をさらにサブスクリプションモデルにまで発展させ、建設機器ではCaterpillarや小松製作所がサービス化にかじを切り、多くの企業がこれに追随しています。私はまだ学生だった1984年に、世界を変えてしまったGEのサービス化戦略を実際に見てみたくて米国ボストン郊外のリンという町にあったGEの航空機事業部を訪問しています。
この製造業のサービス化には当然それを支えるシステムが必要になり、その多くを手掛けたのが大手製造業を顧客に持つIBMでした。しかしIBM自身はサービス化の波に乗ることができませんでした。その理由は技術ではなく「サービスパラドックス」と呼ばれる収益構造の変化に対応できなかったからだと私は考えています。
IT産業でサービス化をけん引したのはMarc Benioff氏が1999年に創業したSalesforce.comです。2021年現在ではCRM/SFA(顧客関係管理/営業支援システム)と呼ばれる分野では圧倒的なシェアを誇っていますが、実は彼らが発足した時のこの市場のチャンピオンはSiebel Systemsという企業でした。Benioff氏と同じくOracleの元社員だったTom Siebel氏によって設立され、あまり知られていませんがSiebel Systemsの創業メンバーにはBenioff氏も名を連ねています。
Siebelは大手企業に次々に採用され、特にIBMは世界規模で導入し30万ライセンス以上を利用する最大のユーザーでした。しかし、Siebelを最も利用していたIBMも、それを買収したOracleも自社製品のサービス化に遅れをとり、今ではSalesforce.comの後塵を拝しています。
その理由が「サービスパラドックス」です。パッケージをコンサルやSIと絡めて販売する価格から見るとSaaSで提供する場合の価格は数十分の1かそれ以下になります。多くの資産や販売拠点、販売代理店網を抱える大手IT企業は、その資産を維持したままこの価格帯で収益モデルを再構築することができなかったのです。サービス化に伴って起こる大幅な商談単価の下落「サービスパラドックス」を乗り越えて収益モデルの根本的な再構築を行える企業は少ないのです。
Siebelが圧倒的なシェアを誇っていた頃に当時恵比寿にあったシーベル・ジャパンのオフィスを訪問したことがあります。日本市場の主要な販売パートナーにそれぞれ専用の部屋を割り当て、パートナーはそこでデモや商談をしていました。導入の平均単価はハードウェアやバックアップまで入れると二桁億円だったと思います。その彼らからしたら1人当たり月額1万円程度のシステムにエンタープライズ市場を持って行かれるとは予想もしていなかったのです。
世界にサービス化の先鞭を付けたGEでもサービスパラドックスは起こりました。Jack Welchの後任としてJeff Immelt氏がCEOに就任すると、同氏は金融事業からの撤退と「ものづくり」への原点回帰を宣言し、デジタルインダストリーカンパニーを目指します。サンフランシスコ郊外のシリコンバレーに近いところに巨大な開発拠点を設立し、多くのシステムエンジニアを雇用し、世界のものづくりのOSとプラットフォームとして「Predix」と呼ばれるシステムを構築し、これと連動する3Dプリンターなどの分野にも大規模な投資を行いました。
しかし、こうした転換期には投資が先行し、また幾つかの収益の柱を売却などで撤退しますから売り上げや利益を落とすことになります。これを株主が問題視し、Immelt氏は任期途中での退陣を余儀なくされました。
マーケティングを経営戦略と表裏一体と位置付けている先進国でも起こっているサービスパラドックスは、全てのステークホルダーを巻き込んだ戦略として企業を再構築することを求められる荒技ですが、今後10年間で日本の多くの産業で起こることだと私は考えています。その中には製造業、IT産業はもとより、新聞・雑誌、テレビなどのメディアや教育、そして軍事までも含まれるでしょう。
大手を含む全国の新聞社は、紙を廃止してデジタルに切り替えれば収益性は好転し、生き残れる可能性が高まることは理解しています。しかし、印刷工場とそこで働く従業員、物流ネットワーク、数十年にわたって販売に努力し、毎日朝夕の新聞を配達してくれた多くの販売店を切り捨てることは簡単ではありません。それがデジタルでも紙と同じ価格設定という矛盾を生んでいます。しかし、こうした有形無形の既存の資産を壊し、再構築できなければ、壊す資産を持っていない新興企業に市場を持って行かれて姿を消すしかないのです。
そういうチャンスと危機が同時に大きく口を開けている時代に我々は生きています。乗り越える武器はマーケティングです。この連載をお読みいただきありがとうございました。またお会いしましょう。
- 庭山 一郎
- シンフォニーマーケティング 代表取締役
- 1962年生まれ、中央大学卒。1990年9月にシンフォニーマーケティングを設立。データベースマーケティングのコンサルティング、インターネット事業など数多くのマーケティングプロジェクトを手がける。1997年よりBtoBにフォーカスした日本初のマーケティングアウトソーシング事業を開始。製造業、IT、建設業、サービス業、流通業など各産業の大手企業を中心に国内・海外向けのマーケティング&セールスのアウトソーシングサービス、研修サービスを提供している。中央大学大学院ビジネススクール客員教授。