日本郵船(千代田区、連結従業員数3万5711人)は、三菱グループの創設者である岩崎彌太郎が設立した郵便汽船三菱と、近代日本経済の父とされる渋沢栄一らが設立した共同運輸が合併し、1885年に発足。海運を中心とした物流事業で、近代から現代までの日本の成長を支えてきた老舗企業である。現在はコンテナ船やタンカー船、自動車専用船、ばら積み船から豪華客船まで、常時750隻以上の大型船舶を運航させている。
海上の通信事情に起因するIT化の遅れ
同社が運航する大型船内には、推進用のエンジンやボイラー、コンプレッサー、発電機などの機械が搭載され、一つのプラントが備わっている。船内ではこの動くプラントの管理、監視を機関制御室(エンジンコントロールルーム)でおこなっているが、船を動かす設備が大掛かりである反面、管理の手法については長らくアナログな形が続いてきた。
その主たる理由が、海上での通信環境である。インターネットやモバイル通信が普及、近年ますますIT化が進む陸上に対し、衛星通信である海上はネットワーク回線が弱く、サービスエリアも限定的で、ITを有効活用できる環境ではなかった。
日本郵船 海務グループ ビッグデータ活用チーム チーム長の山田氏
海上における通信事情について、日本郵船 海務グループ ビッグデータ活用チーム チーム長の山田省吾氏は、「衛星通信は物凄く幅(バンド)が狭く、陸上とは比べ物にならないほど遅い。以前は、通話は何とかできるがメールはできるかどうかという環境で、重いデータは送れなかった」と説明する。そのため、船内でのデータ管理も紙ベースであり、陸船間はおろか船内でもITツールやデータの活用は進んでいなかったのである。
それでも衛星通信の進化により、何とか海陸でデータ通信できるくらいに改善されてきたため、日本郵船では2015年にITとデータ活用に取り組むためのビッグデータ活用チームを発足し、運航中の船内に蓄積された機関データを陸船間で共有、活用するための取り組みを始めた。
船内データを自動収集して陸上へ送信
山田氏は、「大型船内の機関制御室には、船内の運転データを集約して表示する『エンジンデータロガー』という装置が備わっていて、重要な数値は目視で把握できる。ただしデータはその場で表示するだけだった。さまざまな事故やトラブルが発生した時に、どんな兆候がどのパラメータに起こったかということに関しての記録簿はあったが、しっかりした数値データでは残っていなかった」と、以前の問題点を指摘する。
そこでまず、エンジンデータロガーから自動でデータを吸い出して陸上に送る仕組みを実装した専用コンピューターの「SIMS(Ship Information Management System)」を開発。エンジンデータロガーのデータを保存してリアルタイムで陸上のオフィスにも送り、船と陸で同じようなデータを見られるような仕組みを構築した。
ただ、SIMSには船内にある機械の全データが入ってきてはいなかった。その他にも現場の温度計や圧力計などには重要なデータを表示しており、それらを複数の乗組員が毎日紙のチェックリストに記録していた。特に、夜間の無人航行を行うための機関室無人運転体制(Machinery Space Zero Person:M0)のチェック項目は約2000件にのぼり、それらのデータは陸上と共有するために船内のPCへ転記、そして船内ではデータを紙で保存していた。
タブレットとアプリでチェック作業を効率化
そこで、SIMSから漏れる重要データを電子データとして保存し、SIMSのデータと併せて活用できるようにするため、もうひとつ別に「電子M0チェックシステム」を開発することになった。
iPadでの船内作業イメージ
SIMSが人手を介さずに自動的にエンジンデータロガーのデータを吸い上げる形であるのに対し、電子M0チェックシステムは人手で実施していた紙のチェック作業をタブレット端末とアプリケーションを使い、高度化させる仕組みである。データ入力時に異常な数値だとアラートが出て、異常個所は写真で保存できる。入力したデータは船内のPCに転送し、そこから陸上へと送られる。
端末はiPadを選定した。選定理由について山田氏は、「Android系は端末のコストは抑えられるものの、仕様が頻繁に変わりOSのアップデートについていけない。その点、iPadはメーカーがハードとソフトを一体で作ってくれるので、ずっと使い続けていけるという安心感があった」と説明する。また、端末を利用するエンジンルームは温度も高く危険な場所であるため、端末の堅牢さを維持するためタブレットにプロテクターをつけて使う。そういったアクセサリーにも安心感があったと理由に加えた。