30年の歴史を持つ国産ソフト「A-AUTO」
ビーエスピー(BSP)が設立されたのは1982年。その歴史は浅いように見えるが、実はBSPは日本のパッケージソフト業界をリードしてきた会社である。前身は日本のパッケージソフト市場を作り上げてきたソフトウェア・エージー・オブ・ファーイースト(ソフトウェアAG)だ。
現在のBSPの主力商品である「A-AUTO」(エーオート)はソフトウェアAGが1977年に販売開始している。BSPはその販売を引き継ぐ形で設立された会社であり、つまりは同社が日本のパッケージソフト市場をリードしてきたといっても過言ではない。
同社の主力製品であるA-AUTOは、富士フイルム(当時は富士写真フィルム)の情報システム部門が開発したコンピュータの運用ツール「AUTO」(オート)がルーツ。この版権をソフトウェアAGが買い取り、新たにA-AUTOとしてソフトウェアAG、そしてその後のBSPの中で現在の形に仕上げていった。A-AUTOは、今年2007年に30周年を迎えた。
「A-AUTOはBSPの歴史そのものといえます。われわれの原点はいつもA-AUTOにあります。30年前に日本のソフト技術者がこのようなソフトを作ったという事実の重みを改めて感じています。30年前のソフトウェアが現在まで使われているわけですから」
社長の竹藤浩樹氏の言葉だ。
現在、A-AUTOは国内の大手企業を中心に約700社に導入され、日本を代表するITシステム運用のパッケージソフトの地位を築き上げている。運用における省力化、無人化を実現する国産のパッケージとして圧倒的な信頼と実績を得ている。MIJSの参加企業がMade in Japanという旗印の下で“日本のソフト”を主張する、かなり以前から、同社は世界に向けて日本のソフト市場をアピールしてきたと言える。
自ら感じた海外進出の壁
実際、日本製のソフトとして海外進出したのも早かった。1981年にこのA-AUTOで米国市場に参入している。その様子を当時、ある新聞が4回にわたり特集記事として連載した。タイトルは「“日の丸ソフト”海を渡る―ソフトウェア・エージー」。米フロリダで製品説明会を行い、ソフト後進国といわれていた日本のソフトが海外市場でも注目されたという内容だ。当時、日本のソフト会社が海外進出を目論むというのはそれほど衝撃的なことだった。
実際、同社は日本のパッケージソフト市場を切り開いてきた会社として、当時から海外での販売には積極的だった。「自社開発をやっている会社であれば、その製品を海外市場で売りたい! と考えるものですよね。パッケージソフトの会社の社長なら、だれでもそう思っているのではないでしょうか」。竹藤氏もこう指摘する。