岡本太郎は芸術を特殊なものとは考えず、誰もが鑑賞すると共に誰もが創作者となりえるものだと考えていた。故に、岡本太郎は作品がガラス越しに展示されることを嫌った。
その遺志を継いで、渋谷駅に展示されている大作『明日の神話』は、パブリックスペースに剥き出しで展示され、気温や湿度の変化へも無防備である。しかしながら、岡本太郎であっても、その作品に何者かがべニア板を継ぎ足して作品を拡張するとは想定できなかったであろう。
拡張される『明日の神話』
『明日の神話』は、原爆の炸裂をテーマとした作品である。Asahi.comによれば、5月1日、その作品の右下隅に「骨組みだけの建物から黒い煙が立ち上っているような様子を描いた絵が付け加えられ」ているのが発見された。それはべニア板に描かれ、両面テープで固定されていたという。付け加えられた作品を見る限り、それは、福島第一原発を描いたものに他ならない。
さて、仮に作品が傷つけられたとしても作品がガラスケースに格納されることを嫌った岡本太郎であったが、その作品に新しい絵が付け加えられ、拡張されることまでは想定していなかったであろう。しかし、岡本太郎の作品のテーマが未だ現代の主要な問題であり続けることは、本人にしてみれば想定内のことに違いない。さもなくば、原爆を大作のテーマとすることは無かったであろう。
芸術作品は、作者が意図しているかどうかは別として、何らかの形でその時代性を反映する。それは、作品の技法であるかもしれないし、テーマであるかもしれないし、色彩であるかもしれない。岡本太郎が原爆をテーマとしたのは、その時代の主要なテーマを反映してのことであり、福島第一原発の問題が付け加えられたのは、手法は想定外であっても、テーマとしては想定内のことであるに違いない。
想定外をマネジメントする
今回の福島第一原発の事故は想定外の連続として起きたものとして説明されている。しかし、今回の事故から得られる教訓は、想定外のことが起きた場合のマネジメント力だろう。つまり、想定外そのものを想定したマネジメントということである。
これは、原発の事故のみならず、我々が関わるビジネスやシステムに関しても同様である。技術やビジネス環境が急速に変化する以上、今日想定できるリスクが明日も同じである保障はどこにもない。従って、これから求められるマネジメント力の一つとして、想定されるリスクをマネジメントすることに加え、想定できないリスクをマネジメントする力が求められる。
例えば、ソフトウェアのライセンスフィーを主要な収益源としていたソフトウェア産業に対し、突如として検索エンジンを提供する会社が広告収入を主要な収益源としてソフトウェアを無償で提供し始めたり、パソコンを主要な収益源としていた会社が、音楽配信のプラットフォームの提供へと大きくビジネスモデルを転換したり、ということが次々と起こる。こうした動きは、いつ自らの主要な収益源を奪われることとなるか判らない状況であり、想定外に対するマネジメント、つまり想定外を想定内とするマネジメントの必要性を喚起する。
『明日の神話』の包容力
岡本太郎は、芸術とはひたすらに革新し続けるものだと考えていた。故に、先頭を走る者は容易には理解されることはない。
「過去のできあいのイメージにおぶさるのではなく、豊かな精神で自分たちの新しい神話・伝説をつくるのが芸術であり、また生活なのです。できあいのものなら、やすやすと認めようとする、奴隷的な根性からぬけだして、新しい神話をたくましく創造していくべきです」(『今日の芸術』P43)
つまり、芸術においては常に想定外のことへ挑戦し続けることこそが日常であるべきだということだ。ビジネスマネジメントは、想定されるビジネスリスクへの対処はしっかり行うが、想定外の事象に対しては「想定外」であることを言い訳として責任を回避しようとする。しかし、想定外のことが日常的に起きている以上、芸術同様に、想定外のことへ挑戦し続ける姿勢こそが、想定外に飲み込まれないための施策である。
そうであればこそ、『明日の神話』は、制作から40年を経てなお、福島第一原発の問題をも取り込んでしまう包容力を持ち得るのである。
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飯田哲夫(Tetsuo Iida)
電通国際情報サービスにてビジネス企画を担当。1992年、東京大学文学部仏文科卒業後、不確かな世界を求めてIT業界へ。金融機関向けのITソリューションの開発・企画を担当。その後ロンドン勤務を経て、マンチェスター・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。知る人ぞ知る現代美術の老舗、美学校にも在籍していた。報われることのない釣り師。