Wozniak氏によると、その後にAppleは普及価格帯のコンピュータ市場に全力投入する決断を下したという。
「世界中で、普及価格帯のコンピュータ市場は10倍に成長していた。その成長分はすべてMicrosoftに独占された。なぜなら、AppleはSteve Jobsが提唱したマウス操作のコンピュータに傾倒していたからだ」
時代は、まだAppleに追い付いていなかったのだ。「あの5年後であれば、マウス操作のコンピュータで世界を驚愕させることができていただろう」
「Steve(Jobs氏)は、手をこまねいていたわけではなかった。彼はAppleのコンピュータをMicrosoftに披露して、OSの開発をAppleに任せるように提案してみようと言い出した。しかし、Microsoftに対する彼の期待は最悪の形で裏切られることになった」。Wozniak氏の皮肉を聞いた聴衆の間に笑いが巻き起こった。なぜなら、Steve Jobs氏からの情報を参考にBill Gates氏がOSを開発し、Apple製品を絶滅の一歩手前まで追い込んだ歴史は、周知の事実だからだ。
この件から、Jobs氏は少なくとも1つの教訓を学んだようだ。「Appleに復帰したSteve Jobsは、iPhoneをBill Gatesには見せなかった」
社会的な目標
Wozniak氏がApple Iを開発した背景には、彼の社会的な目標があった。「コンピュータの具体的な使い道については、深く考えていなかった」という。Wozniak氏によると、コンピュータにメッセージを入力して1時間以内に100人に読ませるという構想を提唱したのは、共同創業者のJobs氏だったという。今から思えば、1時間で100人という数は控えめすぎたと笑いながら、Wozniak氏は次のように補足した。「これは何十年も昔の話だ。一つの曲を保存するメモリが100万ドルした時代だ。そのくらい大昔の話なんだ」
Wozniak氏が若い頃から掲げていた目標は、教育に携わることだった。「私の人生には2つの目標があった。一つはエンジニアになることで、もう一つは5年生を担当する教師になることだった。私は人間の心がどのように発達するのか興味があり、心理学の授業にはいつも真剣に取り組んでいた。私はずっと教師になりたかったんだ」
Wozniak氏は、後のApple Iとなるコンピュータの開発中に、ある不安に取り憑かれていたという。その不安とは、コンピュータを使いこなす子供たちが急速に知能を発達させ、彼の仕事を奪うのではないかというものだった。「そうした子供たちは私を超える知能を数年で身に着け、知能が取り柄である私の仕事を奪うのではないかと思っていた」
1970年代の半ば、カリフォルニア州ノースベイ地区のLiza Loop氏という人物が、学校の教室に巨大なコンピュータを運び込み、生徒たちにコンピュータに触れる機会を提供するという活動を行っていた。Wozniak氏はApple Iの1号機をLoop氏に寄贈したいと考えた。しかしWozniak氏によると、Jobs氏がこの寄贈に反対し、Apple Iを寄贈するなら対価として300ドルを支払えと要求してきたという。Wozniak氏はJobs氏に300ドルを支払い、Apple IをLoop氏に寄贈した。そのApple Iは、1976年のノースベイ地区に存在した唯一のApple Iとなった。