ゲームにおける「魔王と勇者」
一般の方にとってセキュリティ人材は、サイバー攻撃という“悪”に対抗する“正義の味方”のようなイメージを抱く人が多いかもしれない。時にそれは、自らの損得を超えた次元で物事を考え、人助けを実行に移す義民や宗教家などのようだ。そのような人物は歴史上には何人もいるが、その精神は当時の背景や考え方が現在とは違うこともあって、現代に生きる我々にはなかなか理解にしにくい。そこで理解するための良い例として筆者は一つ良い例えを思いついた。それは、ロールプレイングゲーム(RPG)における勇者だ。
勇者になる主人公は、当初はただの子供や青年といった一般人だが、何かの象徴的な事件に遭遇するなどを契機に、その事件を引き起こした根本的な原因である魔王の討伐を目指すようになる。勇者は武器を持ってモンスターを次々に倒し、その結果、多くの経験値や重要アイテムを得てより強い戦闘力を持つようになり、魔王の城にたどり着く。そして、激闘の末に魔王を倒す。このようなものがRPGの典型的なストーリーだろう。
ゲーム上では、それでエンディングとなり、平和を取り戻した世界の実現で大団円を迎える。しかし実は、その時点で勇者は失業している。みんなからのお礼の言葉を聞いた後に、街の子供などから「勇者様はこれからどうするの?」と無邪気な質問を受けた時点ではじめて気づくか、それ以前に気づいていながら考えないようにしているということもあるかもしれない。もちろん「魔王を倒す」という大事業にまい進しながらでは、セカンドキャリアの形成などできるものではないだろうから、魔王を倒した時点で勇者は“元勇者”になり、端的に言えばそれは目的を失った失業者になっているのだ。
もちろん魔王の城には金銀財宝があっただろう。だがそれは、民衆から奪われたものであり、彼らに戻さなければならず、まさか勇者と名乗った者がそれをネコババする訳にはいかない。魔王を倒すために自分の時間や労力を捧げた勇者としては、そこで何割かのキックバックを要求したいところだろうが、そのような魔王の悪行の上前を跳ねる行為は、やはり勇者としてなかなか難しいだろう。
そして、魔王を倒すまでは、フィールドのモンスターを倒せばお金をもらえており、それが勇者の生活の糧であったわけだが、魔王を倒すとモンスターも消えてしまうから、それでは生計を立てていけない。つまり、勇者の生活は魔王という存在があってはじめて成立していたものだったことにそこで気づくということだ。
セキュリティ人材vsサイバー攻撃者、勇者vs魔王の比較