火傷したミーティング
ひとり情シスに対するステレオタイプとして、「ITに関する知識が低い」「社内での発言力が低い」「ブラックな職場や経営者に関心を持たれない」といった悲惨な状況をイメージする人も多いかもしれません。しかし、そのような認識をしているITベンダーの営業担当者が実際にひとり情シスとミーティングをすると、痛い目に遭うことがあります。実は、筆者もそのような経験をしたことがあります。
ある製造業の中堅企業の社長を表敬訪問したときのことです。ひとり情シスの方も同席していました。50歳前後で物腰柔らかい控え目な印象の方で、「総務部門出身の方かな?」「ITを担当させられて大変だな」と最初は感じていました。しかし、この方は話が理路整然としているだけではなく、最新の情報はもちろん、ITの発展過程も正確に理解しており、この会社が志向する社内のIT化のロードマップをよどみなく語りました。
また筆者に恥をかかせないように、筆者の認識のレベルに合わせて分かりやすい言葉で説明してくれたことには、「ただ者ではない」という殺気すら感じました。実際は、その方はひとり情シスの範囲を超えた会社の実質的なナンバー2と思われているような存在でした。今では、大手企業での経営企画やCIO(最高情報責任者)、CDO(最高デジタル責任者)に匹敵するポジションになっていたのです。
ミーティング後に失礼ながらどのような経歴かを尋ねたところ、日本を代表するコンピューター会社で大手製造業向けのSE(システムエンジニア)として勤めていた方だと分かりました。
いつかはひとり情シスに
実は、ひとり情シスを目指して長年計画的にスキルを構築して準備をしているという方は少なくありません。ITベンダーで販売部門に近いSEやプリセールスなどを勤めている方の多くは、20~30年の勤続生活の中で提案先のお客さまと日夜議論を交わし、最適なシステムを提案してシステム全般を構築支援してきた経験があります。このような方が、いつかはエンドユーザー企業に入社し、IT部門の一国一城の主となり、情シス全般をコントロールしてみたいと考えているお話を、ここ数年はよく聞きます。
筆者がお会いする優秀なひとり情シスには、前職はソリューションベンダーやシステムインテグレーターに属していた経験豊富な方が多いのです。そこで、転職元企業について、ひとり情シス・ワーキンググループが2020年12月実施した「ひとり情シス実態調査」と「中堅企業IT投資動向調査」で調べました。
転職元の52%はITベンダー
ひとり情シスは、企業により評価や待遇などがさまざまです。常に良い条件の環境を求めて転職する方もいます。ユーザー系企業からユーザー系企業へ転職するひとり情シスの割合は41.3%でした。このような人材は、初めてひとり情シスを配置する企業にとってとても魅力的です。
一方で、高度化するITやデジタルニーズに中堅企業が対応しようとした結果、ITベンダーからユーザー系企業へのひとり情シスの転職が急増しました。このタイプの転職は全体の51.7%を占めていました。ITベンダーには、システムインテグレーターやソリューションベンダー、パッケージソフトウェア開発企業、ソフトウェア開発受託企業、SES(システムエンジニアリングサービス)系企業など、広範囲なIT業界の業種が含まれていました。
ITベンダー出身のひとり情シスは、まるで大きな図書館のような知識を有しています。自身の幅広い経験はもちろんですが、前職のコンピューター会社の同期社員や、長い間築き上げたIT業界の様々な会社の人脈といった多くのIT知識人に電話一本でアクセスできるからです。さまざまな環境条件が絡み合うので、ITに関する価格を評価することはとても難しいものです。しかし、ITベンダーに勤務していたひとり情シスには金額の相場観などもあります。そのため、セールスサイドから考えると手強い相手です。
しかも、ITベンダー出身のひとり情シスは販売側の苦労もよく知っています。セールスを何度も訪問させないようにする気遣いを見せたり、社内のバラバラな購入をまとめて受注金額を増加させたりするなど、セールスのモチベーションの維持・向上も考えることができます。
アウトソーシングを依頼するのも、このタイプのひとり情シスが多いのです。依頼範囲を厳格に定義し、金額の妥当性を交渉できるからです。一般的には、経験の浅いひとり情シスがアウトソーシングを依頼すると思われがちです。しかし、経験が浅いと中身の把握や提案金額の評価を行えないので、なかなか依頼するまでに至りません。
ひとり情シスは、不慮の病気や怪我などである日突然、会社に来られなくなる可能性があります。このリスクはコロナ禍でさらに高まりました。しかし、社長訪問時にお会いしたITベンダー出身のひとり情シスは、いつ何があっても困らないようにドキュメントを整備し、付き合いのあるITベンダーへの非常時のアクションプランなども明確に策定していました。
デジタル化人材を必要としている中堅中小企業にとって、ITベンダーから転職するひとり情シスが増えることは朗報だと言えるでしょう。ITベンダーからユーザー系企業への転職は、現在ITベンダーで勤務している方たちの新しいキャリアパスとして今後のトレンドの一つになる可能性があります。
(※2021年4月9日更新:12段落目「ITベンダー出身のひとり情シス」に関する記述を加筆、変更しました。)
- 清水博(しみず・ひろし)
- ひとり情シス・ワーキンググループ 座長
- 早稲田大学、オクラホマ市大学でMBA(経営学修士)修了。横河ヒューレット・パッカード入社後、日本ヒューレット・パッカードに約20年間在籍し、国内と海外(シンガポール、タイ、フランス)におけるセールス&マーケティング業務に携わり、米ヒューレット・パッカード・アジア太平洋本部のディレクターを歴任、ビジネスPC事業本部長。2015年にデルに入社。上席執行役員。パートナーの立ち上げに関わるマーケティングを手掛けた後、日本法人として全社のマーケティングを統括。中堅企業をターゲットにしたビジネスを倍増させ世界トップの部門となる。アジア太平洋地区管理職でトップ1%のエクセレンスリーダーに選出される。2020年独立。『ひとり情シス』(東洋経済新報社)の著書のほか、ひとり情シス、デジタルトランスフォーメーション関連記事の連載多数。