ビジネスと英語
一方、ビジネスでは英語が主流である。ビジネスの中身自体は言語そのものによって大きく左右されない程度まで抽象化されているので、使う言葉としては最も流布しているものでも構わない。例えば取引金額や条件などの遣り取りは、どの言語でも表現そのものが出来ないということはない。
しかし、ビジネスで英語を使うことは、その背後にある文化を捨てることを意味しない。つまり英語圏の文化を受入れた訳ではない。それ故に言葉は英語であっても、ビジネスを遂行する上での振る舞い、プロセス、意思決定のロジックなどは全くもって表面的な言語の利用とは異なるのである。これは英語圏の人々が日本人とビジネスをする際にも強く感じることであろう。
コンピューター言語と文化
更には我々のビジネスが扱うコンピューター言語も「人工言語」として立派な言語のひとつであり、それが表現できるものや特徴が言語によって違うという点では通常の言語とも類似している。しかし、ここは先の英語の議論と同様で、そのコンピューター言語を上回るものとしてその言語を利用する開発者や企業の持つ文化的な特性が、言語そのものの特性を上回るのではないだろうか。
それゆえに、仮に同じコンピューター言語を使っていたとしても、企業合併におけるシステムの統合というのは、単にシステムとシステムを統合するという枠組みを超えて、文化と文化のぶつかり合いとなる。結果として、その判断は先のフランス政府が金融用語にフランス語を使いましょうと言うのと同じくらいに非合理的になされるのである。
そうした文脈において、パッケージというのは、言ってみれば英語を使いましょうということなのかもしれない。
筆者紹介
飯田哲夫(Tetsuo Iida)
電通国際情報サービスにてビジネス企画を担当。92年、東京大学文学部仏文科卒業後、不確かな世界を求めてIT業界へ。金融機関向けのITソリューションの開発・企画を担当。その後ロンドン勤務を経て、マンチェスター・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。知る人ぞ知る現代美術の老舗、美学校にも在籍していた。報われることのない釣り師。
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