かつて新卒で就職するとき、これから定年まで30年以上も働き続けるのかと思ったときは絶望的な気持ちになったものである。それが今や、改正高齢者雇用安定法により、望めば65歳まで働くことが当然の世の中である。
しかし、世の中、伸びる寿命に減る年金ということで、生活者は定年後ももっともっと働きたいのである。そして、成熟社会においては、単にお金のためだけに働くのではなく、仮に60歳を超えて給与が激減しても、取り組む意義のある仕事を続けたいのである。
没落する従来の職業観
こうした社会において、従来のように企業中心で積み上げるキャリアは終焉を迎えざるを得ない。例えるならば、50メートル走が100メートル走になったけれども、企業は頑張っても60メートルくらいまでしか支援してくれない。これまでは、50メートルを走り切ったら、退職金と年金で残りの人生は乗り切ることが出来た。
しかし、これからはそうは行かない。残りの50メートルをどう走るかも考えたキャリア形成が必要なのである。特定企業のみに通用するゼネラリスト・アプローチでは、全キャリアの半分までしかもたない。それ以降を考えたスキルを身に付ける必要がある。
Lynda Gratton氏は、『ワーク・シフト―孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉』の中で、今後ゼネラリストの付加価値が低下するとし、これからは未来に価値を持つであろう技能を習得し続ける「連続スペシャリスト」を目指すべきだと提唱している。
終身雇用は崩壊し、新興国から低コストで有能な人材が押し寄せてくる。その中で競争に勝てるスキルを身に付けて行く必要がある。これは決して企業に勤めることを否定する訳ではない。しかしながら、特定企業でしか通用しない技能は、今となっては短命であることを前提にキャリアプランを考える必要がある。
収入の多寡によって成功を測るキャリア観は没落する
Gratton氏はこうも言う。これからは、「『豊かさ』や『贅沢』という言葉より、『幸せ』や『再生』という言葉が職業生活の質を評価する基準としてよく用いられるようになる」(前掲書234ページ)と。この予測はコトラーがマーケティング3.0というキーワードで提唱する「世界をより良い場所にする」という企業のあり方にも通じるものがある。つまり、これからは、数字のみで表せる成功は価値を持たず、それに伴っていかに社会に対して貢献したかが重要になるということだ。
では、お金を得るために働き、故に収入の多さが成功の証となり、それによって実現される消費行動で満足感を得る、という方程式を簡単に捨て去ることが出来るだろうか。Gratton氏によれば、お金と消費は増えれば増えるほどその価値を感じなくなるのだという。逆に経験から得られる喜びは逓減することはない。あとは考え方をシフトする勇気のみであると。
いずれ60歳を過ぎると、それまでの努力にも関わらず、大きく収入が減ることとなる。それでも仕事に喜びを感じるためには、収入の多さを働くことの意義に結び付ける考えを捨て去る必要がある。さもなくば、多くの人は失意のうちに長い職業人生を続けざるを得なくなるだろう。
新しい職業観の胎動
グラミン銀行の創設者で、ノーベル平和賞受賞者であるMuhammad Yunus氏は「現代の資本主義理論の最大の欠陥とは、人間の本質を誤解している点だ」(『ソーシャル・ビジネス革命―世界の課題を解決する新たな経済システム』17ページ)と言う。つまり、現代の経済学が人間というものが利益を最大化するよう行動するものだとしている点は間違っており、「利他心に基づくビジネス」というものがあるのだと主張している。
我々はこうしたビジネスを企業として行っても良いし、これからは一個人として他者と協力し合いながら進めていくことも出来る。インターネット、そしてクラウドサービスが提供する様々なツール類は、個人同士が連携しながら一つの作業を進めていくことをより容易にする。
どのように取り組んでいくかは人それぞれだろう。しかし、今現役で働いている人たち、そしてこれから働いていく人たちが職業観を大きく変えていく必要があることは間違いない。そして、その取り組みは今日始めたとしても、決して早すぎるということはない。
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飯田哲夫(Tetsuo Iida)
電通国際情報サービスにてビジネス企画を担当。1992年、東京大学文学部仏文科卒業後、不確かな世界を求めてIT業界へ。金融機関向けのITソリューションの開発・企画を担当。その後ロンドン勤務を経て、マンチェスター・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。知る人ぞ知る現代美術の老舗、美学校にも在籍していた。報われることのない釣り師。