1980年代の半ば頃、私はある大学の法学図書館で、コンピュータサポート(当時はそう呼ばれていた)を担当していた。当時そこには、スタッフのために約20台のPC(全員に1台ずつではない)があり、新たに設置されたコンピュータ研究室にさらに10台配置されていた。その後、技術サポートが扱う必要のあるコンピュータ(とユーザー)の数は、文字通り桁違いに増えてきた。さらに、ほかの変化もある。コンピュータは変化し、ユーザーも変化し、そして技術サポートの環境も変化した。
1.サポートの仕事は限定されていた
当時、自宅にコンピュータを持っている人はまれだった。PCはたいていの場合、仕事場や学校にあるものだった。実際、自宅にあるコンピュータは問題の種だった。ソフトウェアやハードウェアには、職場でサポートされているものとは互換性がないのが一般的だったからだ。ただしこの問題には、利点もあった。「あなたがやっているのは仕事ではないので、私の責任ではない」という言い方ができたからだ。技術サポートはその後、自宅、仕事場、学校を分けて考えるという戦いに負けた。そういう時代は終わってしまったのだ。
2.サポートの時間も限定されていた
PCのほとんどが仕事場や学校にあった(そして互換性に問題があった)ため、コンピュータを使った作業(およびそのサポート)は、職場や学校の業務時間内に行われることが多かった。その後、仕事の時間や学校の時間と、オフの時間の境界線はあいまいになり、コンピュータは日常生活の一部として浸透していった。その結果、第1の項目に次いで、この時代も終わってしまった。
3.サポートの場所も限定されていた
80年代には、PCは技術サポートまたは(時々)ユーザーによって、決まった場所に「設置」されていた。その後問題が発生すると、そのコンピュータがある場所まで移動する必要があった。コンピュータが小さく、安く、より強力になるにつれて、PCの可搬性は高まった。1980年代には、ユーザーサポートはコンピュータがある場所に置いておけばよかった。現在では、別のアプローチが必要とされている。スマートフォンやタブレットの普及によって、完全なモバイルが可能になっている。この変化はまだ進行中だが、以前の状況は過去のものになりつつある。
4.ネットワークが普及した
作業、時間、場所が変化してきたのと同時に、PCでネットワークが使用されることが増えた。これは鶏が先か、卵が先かという問題に似ていて、ネットワークはこれらの変化の原因でも結果でもある。ネットワークの普及によって、PCの使われ方は変わった。80年代には、PCをネットワークにつなぐ主な理由は、ローカルにあった。レーザープリンタなどの高価な周辺機器の共有や、特定のデータベースへの接続に使われていたのだ。その後20年間のネットワークの広がりによって、PCはほかの(遠近両方の)人とつながり、遠くのデータベースにアクセスし、遠隔にあるデータセンターの機能を利用するためのものになった。
5.標準化が進んだ
ネットワークの台頭に伴う重要なポイントの1つは、適切な標準が広く導入されたということだ。どんなネットワークでも、機能するためには標準化を必要とし、ネットワークが多くのハードウェアやソフトウェアにつながるようになるにつれて、新たな互換性の問題が生まれた。そのことが、さらに新たな標準の開発や導入に対する圧力となった。ネットワークの標準はもともと、メインフレームコンピュータを接続するために開発された。たとえばイーサーネット(1973年)やTCP/IP(1974年)がそうで、これらはすぐにPCの接続にも利用されるようになり、すぐにAppleTalkやNovell NetwareなどのローカルPCネットワークの標準を駆逐した。