1980年、Microsoftはコンピューティング分野で大きなチャンスをつかんだ。この年、IBMのJack Sams氏とそのチームは、間もなく発売され、やがて業界を定義し直すことになる「IBM PC」に、「Microsoft Basic」とOSを採用する契約を交わすために、シアトルの小企業であるMicrosoftを訪れた。手短に言えば、Microsoftは「CP/M」の所有権を持つDigital ResearchにIBMのチームを向かわせたが、Digital ResearchのOSに495ドル支払うという取引にIBMが合意できず、Bill Gates氏がIBMに40ドルの代替品を提供することになった。
当時、Microsoftの年間売上高は750万ドル(75億ドルではない)で、社員数は、Procter & Gambleから新たに採用したSteve Ballmer氏を含めても40人しかいなかった。対照的に、IBMの売上高は262億ドルで、社員数は34万1279人だった。規模ではGeneral ElectricとGulf Oilにほぼ等しかったが、この2社を合わせた以上の利益を得ていた。
もちろん、IBMはそのような小規模なサプライヤーに頼ることに疑問を感じていた。その会社のトップがSams氏の息子と同じ年頃となればなおさらである。しかしMicrosoftは思いがけない幸運に恵まれた。IBMのPCプロジェクトの責任者だったPhil Estridge氏がその考えをIBM社長のJohn Opel氏に話すと、Opel氏は「ああ、それはBill Gatesの会社だな。Mary Gatesの息子だ」と言った。Opel氏とMary Gates氏は、チャリティ団体であるUnited Wayの委員をともに務めていた関係で、知り合いだったのである。
MicrosoftがいつかIBMより多い売上高を発表するようになるという考えは、当時ならばかげた話に聞こえただろう。IBMは「ビッグ・ブルー」と呼ばれる大企業だった。同社のメインフレームはアメリカの大手企業の大半で使われていた(そして今でも使われている)。IBMはかつて、ほかのあらゆるコンピュータ企業を合わせた2倍の規模があった。同社の歴代社長は、数十年にわたって、米国大統領と食事をともにしていた。同社はまた、1935年と1952年に独占禁止法違反で訴えられており、1974年から1982年まで続いた歴史的な訴訟で勝利を収めている。同社はデータ処理の分野を50年にわたり支配していた。
最新の決算を見ると、状況がいかに劇的に変化したかが分かる。