--この本では、ラン科の植物から生まれた香味料であるバニラが世界中に広まった話を例に取り、いかにアイデアが生まれるかというあなたの理論を説明している。
バニラの話は、当時12才だった奴隷のEdmondが、原産国メキシコ以外でバニラどう育てればよいかという問題を解決した話です。これは、数百年もの間、欧州のもっとも有名な植物学者たちが挑戦して解決できなかった問題でした。
この話のポイントは、誰にでも重要な創造的貢献ができる可能性があるということです。創造は生得のものであり、本能的なもので、従ってあらゆる子供に見られるものです。
全336ページ、出版:William Heinemann、ISBN-13: 978-0434022908、20ポンド。
テクノロジを理解しようとする試みにも同じことが言えます。すべての子供は自然を探る本能を持っていますが、同じようにテクノロジを探る本能も持っています。だから子供たちは、犬や鶏を見て興奮するのと同じように、電話をかける真似をするのです。教育の本来の役割は、その生得の本能的な能力を引き出し、高めることであり、そうでなければ成長を阻害してしまいます。
残念ながら、われわれの教育システムは、コントロールや、従順さや規範への服従やを優先しており、これは率直に言って教育システムの都合です。これらのことは、創造性とはまったく相反するものです。教育は、子供の創造的な天性をすべて潰してしまうのです。創造性の高い子供たちが、「反抗的」「はみ出し者」などと呼ばれるのは、偶然ではありません。彼らは大人に従うのではなく、創造しているのです。
これはいくら強調しても強調しすぎるということはありません。
--「普通さ」という制約なしに思考の技術を教えるためには、どのような手法、戦略、あるいは運動が必要か。
教育の最初の段階から、1度でうまくやることが暗黙のうちに重視されていますが、これは創造性からは最も遠い行為です。作文を提出すると、成績が付く。絵を描くと、壁に張り出される。これは、とても幼い子供にはいいのですが、8才くらいからは、生徒が出してきた草案に対して、先生が成績を付けるのではなく、建設的なコメントをすることを数週間にわたって何度か繰り返し、それを取り込んで最終的な成果を作るという形に移行するべきです。
これは、創造的な文章執筆、芸術、工学など、何か新しいものを作るあらゆる教科で言えることです。1回目に挑戦した時にうまく思いついたアイデアを褒めるよりも、創作で重要なのは改善していくことだということ、あるいは「完成」とは、磨き上げていった結果だということを教えるべきです。
このシステムでは、「失敗」は学びになります。考えられる限りの最悪な事態が、考えられる限り最も建設的なことになるのです。