--あなたの本のテーマは、天才(genius)などというものはないということのようだ。その考えに従えば、誰でも何らかのアイデアを生み出すことができることになる。では、アインシュタインのような人はどう位置づけられるのか。
少なくとも分野を限れば、すべての人が同じ才能を持っているわけではありません。しかし、アインシュタインが挙げた成果は、誰もが問題を解決する際に使うのと同じプロセスで生まれたものです。彼はたまたま、理論物理学の才能を持っていました。
これを「天才」と呼ぶことには、いくつかの問題があります。
まず、これはアインシュタインが何か普通でない思考方法を使ったと言うことを暗示しています。そうではありませんでした。アインシュタインは並外れた成果を挙げましたが、彼が取った手順は、ほかの誰もが問題を解決しようとする時に取る手順と同じです。
第2に、これは「天才」が前もって調べることのできる何らかの種類の能力であるということを暗示しています。そうではありません。アインシュタインが並外れた成果を挙げるまで、誰も彼を「天才」だとは思っていませんでした。われわれが彼について知っていることの多くは、彼が年老いてから、または彼が死んでから後知恵で解釈されたものです。アインシュタインは、「天才」と呼ばれることに強く抵抗していました。
誰かの能力を正しく推し量る方法などないのに、子供が小さい時に「才能がある」とか「才能がない」などと言うことは、呪いのようなものです。「才能がある」と言われた子供は努力しなくなるでしょうし、「才能がない」と言われた子供も同じでしょう。
そういった「才能」や「天才」の話は、明らかにでたらめです。いわゆる「天才」たちが、ほかの誰もと同じ方法で物事を進めていることに気づき、彼らが「天才」と呼ばれるのは成果を挙げてからだということを知れば、「天才」がなんらかの生得の特別さを意味するという考え方など消えてしまいます。
「天才」の正確な定義の話ができないのは、実際にはそんなものはないからです。その言葉は漠然とした、毒のあるものです。
その代わりに、本来の「genius」の意味を思い出すべきでしょう。ローマ人はこれを、誰もが持っている特別なひらめきを意味する言葉として使っていました。「How to Fly a Horse」で問いかけたのは、その素晴らしい特別なひらめきで何を創造するのかということです。だれもが「genius」を持っており、これは取っておくのではなく、与えるべき才能なのです。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。