Linuxは25年前に産声を上げて以来、オープンソースの申し子であり続けている。しかし皮肉なことに、その生みの親であるLinus Torvalds氏がTEDのインタビューで最近語ったところによると、Linuxはオープンソースを目的として作られたものではなかったのだという。
提供:Bret Hartman氏/TED
この分野に詳しい人であれば、これは驚くような話ではない。Torvalds氏はオープンソースライセンスのなかで最も正統なGNU General Public License(GNU GPL)をLinuxに採用したが、無償かつオープンなソフトウェアという考え方に対しては、自由ソフトウェアを主張したRichard Stallman氏ほど厳格な姿勢を示したことはないのである。
GNU GPLの採用は政治的な話とは関係なく、オープンソースだからというわけですらない。それは自らのコードに対するコメントを求めるための手段でしかなく、25年後の現在もTorvalds氏の信条であり続けている。
友達はいらない。コメントが必要なだけだ
Torvalds氏はTEDでの最近のインタビューで、Linuxのオープンソース化は崇高な道徳理念の象徴や、政治的な声明を目的としたものではなかったと語っている。司会者であるChris Anderson氏からの質問に対する答えのなかで、Torvalds氏は共同開発者を求めているわけですらなかったと明確に述べている。
Torvalds氏は「わたしはLinuxを共同開発プロジェクトとして始めたわけではなく、自分自身のために始めた」と述べたうえで、「わたしは最終的な成果物を手に入れたかったが、プログラミングを楽しんでもいた。Linuxを公開したとはいえ、オープンソースという方法論を用いる気はなく、自らの成果物に対するコメントが欲しかっただけなのだ」と述べている。
欲しかったのはコード自体ではなく、コメントだったというわけだ。
実際のところ、Torvalds氏はここ数年、(GPLv3のような)より厳しいライセンスを避けてきている。というのもこの種のライセンスは、コードの使用方法について、道徳的な考え方を受け入れるよう強制しているためだ。Torvalds氏は自らのことを社交的だとは思っておらず(「他の人たちのことをあまり好きではないが、自らのプロジェクトに他の人が関わってくれるのは歓迎する」と語っている)、オープンソースは「共同で作業し、コードを生み出すための単なる優れた方法だ」と確信している。
Torvalds氏はAnderson氏に対して、(オープンソースでは)人々(あるいは企業)が互いを気に入っている必要はないし、競合関係にあっても構わないと語っている。
「オープンソースの好ましい点は、さまざまな人々が実際に共同作業できるところだ。互いを気に入っていなくてもいい。互いに嫌い合っている場合もある」(Torvalds氏)