だがRed Hatはまず、今では歴史の闇に埋もれているものの、同時代に存在していた「Calera」や「Turbolinux」「Mandrakelinux」といった多くのディストリビューションに差を付け、成功を勝ち取るための魔法の処方を見つけ出す必要があった。
Red Hatの現在の最高経営責任者(CEO)であるJim Whitehurst氏は筆者とのインタビューで、「われわれによる真の貢献は、オープンソースソフトウェアを別にすれば、エンタープライズビジネスモデルになるだろう。現在では自明のモデルだが、当時はそうではなかった」と述べた。
筆者もWhitehurst氏と同意見だ。
2003年のことだ。当時Red Hatのエンジニアリング担当バイスプレジデントを務めていたPaul Cormier氏(現在は同社の製品およびテクノロジ担当プレジデントを務めている)は、初期の廉価版ディストリビューションである「Red Hat Linux」の販売、サポートを中止し、企業ニーズに応えられる「Red Hat Enterprise Linux」(RHEL)へと全面移行するという決断を下した。
Cormier氏は、「当時のエンジニアら(の多く)は、ビジネスモデルのことなど気にかけていなかった。彼らはRed Hat Linuxに対する取り組みを望んでいた。このため、新たなモデルに舵を切る過程で、社内にちょっとした混乱が巻き起こった。そして一部のエンジニアらは社を去ったが、より多くのエンジニアらが社に残る道を選択した」と後に語っている。
また、この決定に眉をひそめるユーザーも数多くいた。彼らはRed Hatが既存顧客を見捨てたように感じたのだった。ただ、法人顧客は違った見方をしていた。
2008年以来、Red HatのCEOを務めているWhitehurst氏は、「RHELを市場に投入した際、われわれは企業が実際にこの製品を活用できるようにするために全力でサポートする必要があった」と述べている。そして、彼らはそれをやり遂げた。その後は歴史が示すとおりだ。