例えば、山村のハードウェアが障害を起こしたとする。その時、ユーザーとIT部門は、ベンダーに電話をして「全力で速攻で、今すぐ直せ」という。ベンダーは、腕の見せ所だ。日本は、トラブルが起きたときに、その対処力を問う国だ。こうした時に、対応できて、すぐ復旧できることは当たり前だと思っている。
ベンダーはすぐ駆けつけ、故障個所を点検し、部品交換する。その間、システム部長は、やきもきしながら待ち、システム部長自らベンダーの技術部門に一時間おきに連絡を入れ、報告を求める。復旧報告を受けると、ユーザーとシステム部門は胸をなでおろす。全員、安心感とともに、軽く一杯飲みに行く。
本当に、これがそもそもいいのか、誰も真剣には考えず、保険料のようなものだと自分に言い聞かせて終わる。(ちなみに、生命保険ビジネスだけで、実は日本の銀行よりも規模が大きいことを、日本人は結構知らないし、ファイナンシャルプランナーが個人の家計を見直す時に、保険料に必ず目をつけることを日本人は結構知らない。要は、保険を掛け過ぎている国民だ。)
ソフトウェアはもっと不透明だ。ソフトウェアにも保守料がかかる。やってくれるのは、障害が起きたときの解析と、対処が中心だ。後は、ソフトウェアのアップデートが起きたときにアップデートをしてもらうこと。
しかし、外資系の障害対応はひどい。なるべくやらないようにする。日本企業は怒る。なぜなんだと。しかし、これはビジネスの違いだから仕方がない。外国人は、障害に対して日本よりも寛容である。その外国のサービスで、日本のレベルを求めることには確かに無理がある。そうしたことを知っていて、無理を聞かせることができるほど、自社に体力がある企業では、外国のソフトウェア企業に自社専門の支援部隊を作ったりすることもある。
「保守料が高い」とソフトウェア会社に交渉をすると、海外から偉い外国人がやってきて、R&Dやサービス体制にはコストがかかるという説明をして帰る。そうそうは下がらない。
そして、ハードウェアの更改。25年前なら、ハードウェアの更改があるので、アプリケーションも一緒に作り替えるという時代もあった。それが、オープン系の登場から、ハードウェアとソフトウェアのレイヤ化が始まり、ハードウェアだけを分離して更改することが可能となった。最近では、メインフレームとてハードウェアの更改だけをするのが当たり前だ。
昔は、5年で償却することが当たり前だった。今は、その償却を伸ばし、再リースや償却費ゼロで数年使うことは、結構の数の企業で行っている。しかし、本当にこのハードウェアはいつまで使うことができるのか、それはよくは分からない。
こうした保守料とハードウェアの更改の世界は、経営からしてみると、車の車検や家にある家電製品のイメージで話してしまう。車なんて壊れないのに、車検なんているのか?と思っている。国がやっているから、そのためにユーザーが多くのコスト負担を強いられていると思っている。家電なども、別に保守料など払わずとも補償してくれるじゃないかと思っている。
本来ならば費用対効果を真剣に議論すべきなのだ。しかし、IT部門はこの真剣な議論ができていることは少ない。定期保守というものをやめて、随時保守だけにした企業もある。劇的に保守料は下がったが、トラブルはそうは起きていない。ハードウェアごとに重要性を定めて、保守をきっちり行うものと、壊れたら買うものと決めているところもある。真剣に向き合えば、こうしたコストも本来必要なものに整理することはできる。
しかし、多くのIT部門は、保守料やハードウェアの更改で安心を買っている。自分自身の保険料と一緒で、安心に使っているお金を合理的に説明できる人は少ないし、真剣に考える時間さえ取れている人は少ない。IT部門も保守料とハードウェア更改を真剣に考えていないのだ。
- 宮本認(みやもと・みとむ)
- ビズオース マネージング ディレクター
- 大手外資系コンサルティングファーム、大手SIer、大手外資系リサーチファームを経て現職。17業種のNo.1/No.2企業に対するコンサルティング実績を持つ。金融業、流通業、サービス業を中心に、IT戦略の立案、デジタル戦略の立案、情報システム部門改革、デジタル事業の立ち上げ支援を行う。