中国では、インターネットの厳しい規制にもかかわらず、米国に負けじとAI技術の発展に力を入れており、産業を発展させている。AIサービスは多くの業界で導入が進んでおり、実用化に向けたデータのアノテーション(意味や注釈などの情報を付加する作業)が重要な役割を果たしている。この作業は当初、中国の人件費の安い小都市や農村部で行われていた。これには経済的な理由のほかに、地域間の経済格差を縮小し、貧困問題の解決と地方の発展を促進するという社会的な目的もあった。
中国西南部に位置する貴州省は、ビッグデータ産業の急速な発展で知られている。特にアノテーション作業が行われている現場の実態について、中国メディアの鳳凰周刊が詳細なレポートをまとめている。今回はこれを紹介したい。
2010年代後半、ある貧困緩和指定地区では沿岸部での出稼ぎから帰ってきた28~35歳の女性たちが、その地区に新しく建てられたオフィスビルの一角でデータのアノテーション作業を始めた。その施設は、工場のような騒音がなく、空調も整った快適なオフィス環境で、そこでは中国語で「媽媽工人」、日本語でいえば「マザーワーカー」と呼ばれる主婦やシングルマザーが業務に従事していた。
初めは、指示に従って画像の特定の部分にラベルを付ける単純な作業だった。その作業の目的が何であるかは、明かされていなかった。しかしある日、優秀はマザーワーカーのグループが会社に招かれ、自動運転車のデモンストレーションを見学する機会があった。そこで初めて自分たちの作業が自動運転技術に貢献していたことを知り、大いに感動したという。コンピューター作業による視力の低下などもあったが、地域の平均給与の数倍を稼げることもあり、モチベーションは高かった。
2020年になると、中国ではAI開発の競争が激化した。ある企業は、この波に乗じて中国全域にデータアノテーションの拠点を設立。これにより、各拠点間でプロジェクトの取り合いが発生することになる。また、優秀で残業もいとわない若い人材が市場に流入し、経験豊富なマザーワーカーたちは立場を失い始めていた。さらに、大企業が人材管理をデジタル化する流れを受けて、この企業でも複雑な人事評価システムを導入し、労働者のパフォーマンスを数値化するようになった。
かつては貧困撲滅活動を名目に、公益的な事業として始まったものが、いつの間にか利益を追求する方針に転換し、その性格が大きく変わってしまった。最初は貧困撲滅を掲げてマザーワーカーたちを指揮していたが、やがて彼女たちを大幅に削減するリストラ計画に力を注ぎ、パワーハラスメントを行ったり、不当な仕事を押し付けたりするようになった。
河南省から専門チームが派遣された時には、ガラス張りの管理室や監視カメラなどが設置されたこともあった。現場を取り仕切っているリーダーが労働者を一望できると同時に、労働者も管理室の様子を見られるような仕組みで、職場の透明性を高めようという狙いだ。しかし、専門チームが去るや否や、現場リーダーは監視カメラに映らない小部屋に労働者を呼んでは圧力をかけるという行為を繰り返した。こうして、マザーワーカーの給与は減っていき、その多くが職場を去っていった。
労働者が個人としてではなく、データとして扱われるようになったことで、マザーワーカーたちはシステムの隙間を利用して抵抗するようになった。例えば、仕事中に子どもを学校から迎えに行く際、システムが自分を仕事中と認識するよう同僚に操作を依頼したり、職場の近くに住む人はシステムの位置情報追跡の甘さを使って自宅にいながら出勤扱いにしたりといった具合だ。しかし、これらの行動はやがて現場リーダーによって発見され、システムの改善が行われることとなった。
この現場リーダーだって顧客企業と現場のマザーワーカーに挟まれた中間管理職である。時にはマザーワーカーの作業効率を上げるために特別なプラグインツールを提供したり、利益率の高い案件を獲得するために一致団結を促したりすることもあった。リーダー自身も成果を出せなければ立場が危うくなる一方で、貧困の撲滅を目指してマザーワーカーの雇用も続けなければならない。
近年、AI開発に必要となるアノテーション業務の代行サービスを提供することで、中国各地の貧困問題に取り組む流れが加速しており、その結果、マザーワーカーがメディアで取り上げられることが増えた。これによって、彼女たちは宣伝の道具として、また女性向けの基金や政府の補助金を引き寄せるための手段として利用されるようになった。しかし、実際には職場でのパワーハラスメントが問題となったり、マザーワーカーの収入が大きく低下したりしている。彼女たちは数年かけて貯めた資金を元手に起業するという夢を諦め、自信を失っているという。また、最近では障害者がアノテーション作業に従事しているという報道もあるが、これも同様の宣伝戦略の一環かもしれない。
現在、基本的なアノテーション作業は飽和状態にあり、多くが自動化技術によって置き換えられている。ただ、自動化では処理できない「より困難な作業」は残されており、そうした作業に対する人材不足が見込まれている。5月末には、国家レベルでアノテーションパイロット都市が指定され、成都や瀋陽など7つの都市が選ばれた。より複雑で困難なアノテーション作業には地域の優秀な学生たちの能力が必要とされ、活躍が期待されている。残念ながら、そこにマザーワーカーの出番はないだろう。
- 山谷剛史(やまや・たけし)
- フリーランスライター
- 2002年から中国雲南省昆明市を拠点に活動。中国、インド、ASEANのITや消費トレンドをIT系メディア、経済系メディア、トレンド誌などに執筆。メディア出演、講演も行う。著書に『日本人が知らない中国ネットトレンド2014』『新しい中国人 ネットで団結する若者たち』など。