突然の海外赴任命令
私が勤務するトレンドマイクロは、本社は東京としているものの、実際には各国が連携した上で事業を展開するグローバリゼーション(国際化)が進んだ企業です。そのため、日常業務を進めていく上で、海外スタッフとの連携は欠かせません。
このような環境で働いていると、自然と「グローバルで活躍できる人材になりたい」「より多くの人とコミュニケーションを取りたい」「他国の文化や習慣を知りたい」という気持ちが沸いてきます。そんな私に、2005年5月中旬、米国ニュージャージー州のサポートセンターでの勤務が命じられました。期間は、2005年6月中旬からの半年間でした。
当時の私は、具体的に英語の勉強をしていたわけではありません。実際、2005年6月の渡米前に受験したTOEICは515点。この点数は、英語で日常生活ができるレベルとされているものの、英語圏で生活したことのない私はかなり不安でした。もっと英語力をつけてから渡米したかったのですが、米国勤務を命じられてからは準備で忙しく、勉強に時間を割く余裕は残念ながらありませんでした。
二度の米国勤務
米国のサポートセンターでは、主に日本の企業向け有償サポートのため、日本の夜間帯におけるサポート業務を担当しました。米国で生活してはいるものの、日常業務は日本語が中心です。英語の勉強は、現地での勤務や生活に慣れることに精一杯で、あまり時間が取れませんでした。
ただ、現地スタッフとのコミュニケーションも必要だったため、リスニング能力は鍛えられました。その結果、帰国後の2006年3月に受験したTOEICでは、リスニングスコアが渡米前の300点から350点に伸び、トータルスコアが515点から580点となりました。
そんな私に、またしても米国サポートセンターでの勤務が命じられました。今度は、2006年7月からの1年間です。
この機会を生かさなくては
再び米国で生活を始めた私は、前回の渡米時と同じくあまり英語の勉強に時間を割くことはありませんでした。ただ、米国勤務を開始して半年ほどたった頃、私はせっかくの英語力アップの機会を見過ごしているような気になってきました。海外勤務など、誰もが経験できることではありません。そこで私は、現地の英会話の授業を受けてみることにしました。
私が通った英語のクラスは2つ。1つはモントクレア州立大学のESL(English as a Second Language)クラスで、もう1つは地元の公立図書館でボランティアの方々が教えている英会話クラスです。両クラス共に平日の仕事が終わってから通っていたため、出席率100%とはいきませんでしたが、ESLクラスは1回2時間で週2回、図書館での英会話クラスは1回1.5時間で週1回通いました。
モンクレア州立大学のESLクラスでは、登録時に筆記と面接でのレベルチェックが行われ、私は中級クラスに入りました。登録料は、3カ月間で350ドルです。クラスの人数は10人程度で、日本人は私1人。他にはメキシコやコロンビア、ペルー、ブラジルなど南米出身の人がほとんどでした。南米出身の人たちは、ほとんどが出稼ぎに来ていて、米国に10年以上滞在している人もいました。このクラスに通うほとんどの人は米国での滞在期間が長く、会話は特に問題なくこなしているのですが、正しい文法の使い方を学ぶためにレッスンに通っているようでした。一方、日本人の私は、日本人の典型で、文法はわかるが発音や会話がうまくできないという、彼らとは正反対の状態でした。授業内容は、テキストに沿った文法の学習や、グループディスカッションが中心でした。