最近になって分かったことがある。それは人生を一変させるようなものではなく、何らかの問題の解決につながるものでもなく、(正直に言えば)それほど深遠なことでもない。しかし筆者にとって、そのことに気付いた瞬間は、アメコミの悪役キャラであるハーレイ・クインの巨大ハンマーで脳天を打ち砕かれたような感じであった。その気付きとは、LinuxがデスクトップOSとしてちまたの話題をさらう上で本当に必要としているものについてだった。
ここで読者の多くは、筆者が「Linuxに必要なのは、仕事上のニーズやエンドユーザーのニーズを満足させるキラーアプリだ」と主張すると思ったかもしれない。しかし、それは間違いだ。また、筆者のひらめきがLinuxデスクトップの標準化と関係あると思った人もいるかもしれない。だが、それも間違いだ。
筆者のひらめきを説明してみよう。「Ubuntu Software Center」(図A)を起動し、表示されるものを見てほしい。おそらくは一般的な人たちが「無意味」と評する、ゲームやマルチメディアアプリといったものが表示されるはずだ。次にAppleの「App Store」やGoogleの「Google Play」ストアにアクセスしてほしい。どういったものが表示されるだろうか?ゲームやソーシャルネットワーキングアプリ、ショッピングツール、音楽、映画、そしてITっぽくない「ちょっとした小物類」が取りそろえられている。しかしご存じだろうか?これこそがプラットフォームの大きな「売り」であり、魅力を高める鍵なのだ。プラットフォームを猛烈な勢いで普及させるものは、管理者向けのツールや、テクニカルな面に直結したツールではない。一般的なユーザーが心を引かれる、時間つぶしのソフトウェアが必要なのである。
Ubuntu Software Centerを起動すると、多くの人がインストールしているアプリが表示される。
大多数のPCユーザーは、仕事でPCを使っているわけではなく、管理者というわけでもない。このため彼らは、インターネットに接続してソーシャルネットワーキングサイトにアクセスしたり、電子メールをチェックしたり、ショッピングするといった、平均的なユーザーが行っていることができなければPCなんて価値がないと思っている。そして、これこそがLinuxにもっと楽しさが必要となる理由だ。