マクロ視点が進化し、戦略的経営が一世を風靡
1970年になると、世界経済は不確実性の時代に入っていく。モノをつくれば売れる時代が終焉し、マーケティングの重要性が増してくる。いかに競合企業に勝ち、業界において高いシェアを獲得するか。経営者の関心は競争に向きはじめた。そのころ東京中央電気では、工場の先進化を進めた大和田暁の息子が社長に就任した。彼らの様子を見てみよう。
1970年、競争環境が激化する中で経営を引き継いだ大和田社長は、父の影響を受けてマクロ視点(事業視点)で全社を俯瞰し、最新のマネジメント理論やマーケティング理論を自社に取り入れ始めた。BCG(Boston Consulting Group)が考案した「経験曲線」や「成長シェア・マトリックス」などだ。自社の事業は、負け犬、問題児、金のなる木、花形のいずれなのか。それは市場でナンバーワンないしナンバーツーを確保できるのか。これからは科学的経営の時代だ。彼はそう確信し、自社の事業を分析し、経営戦略を策定する。コンピュータ産業が急成長し、ITによる業務改善が進んだ背景もあった。東京中央電気は冷徹な戦略経営に舵を切り、大胆な事業再編と社員のレイオフを開始した。
この時代、コンサルティングファームの台頭で、顧客やコスト、競合や市場予測などを分析し、緻密な計画を立案する手法が普及する。マイケル・ポーターの『競争の戦略』が教科書となり、GEの最高経営責任者(CEO)、ジャック・ウェルチが大胆に戦略経営を推進した。
事業の選択と集中を行い、20万人近い社員を整理し、60億ドル以上の経費を節約する。会社を守り、社員を守らない姿勢は「建物を壊さずに人間のみを殺す中性子爆弾」に例えられて「ニュートロン・ジャック」と揶揄されたが、GEの株価を30倍にして20世紀最高の経営者と讃えられた。そしてMBA、リストラ、M&A、成果主義がブームとなった。マクロ視点(事業視点)に力点が移り、行き過ぎた資本主義の導火線となった時代といえるだろう。
1990年代、東京中央電気では戦略経営を推進する大和田派閥が全盛時代を迎え、大和田暁の孫が社長に就任した。米ソの冷戦も終わり、世界は資本主義一色に染まっていく。会社は株主のものであり、利益を最大化させるための投資対象だ。インターネットの普及もはじまり、経済は一気に国境を超えた。同社の株主にはヘッジファンドが名を連ね、大和田社長の報酬はストックオプション連動となった。株主と経営者がインセンティブを共有したのだ。事業目的は、自社利益、シェア拡大、企業価値の追及だ。彼は迷いもなくグローバル資本主義をひた走った。
競争の戦略、集中と選択、時価総額経営。マネジメントはマクロ視点(事業視点)に加速していく。MBAでは戦略論が中心を占め、ミクロ視点(人間視点)は傍流へ押しやられた。トム・ピーターズは「エクセレント・カンパニー」で組織文化の重要性を説き、分析主義の戦略論を批判したが、彼らがエクセレントと判断した企業の3分の1が数年後には衰退したとの指摘を受ける。ミクロ視点(人間視点)のマネジメント論は成熟していない。そんなマクロ視点(事業視点)の学者からの批判は厳しかった。
さらに、ヘッジファンドが登場したことで、株主資本主義が加速した。企業の持ち主として君臨する彼らは、株を売り抜けて金を儲けることが唯一の目的で、投資先企業への忠誠心など皆無といって良い。経営者も自らの報酬を株価と連動させ、短期利益、拡大至上主義に傾倒していった。