既報の通り、富士通は、6月22日付けで執行役員常務である田中達也氏が代表取締役社長になる人事を発表した。現在の代表取締役社長である山本正巳氏が代表取締役会長に就任する。田中氏は1月19日付けで代表取締役副社長に就任し、山本氏とともに経営業務に携わることになる。
山本氏は2010年に社長に就任し、5年目という区切りの年となり、「就任以来進めてきた真のグローバルマトリックス体制の実現、構造改革の実現に一定の道筋がついた。今のタイミングが(社長交代に)最適と判断した」と説明。新社長となる田中氏は入社以来、営業を担当し特に大手装置産業、製造業を担当し、最近では中国、シンガポールでのアジアリージョン長とグローバル展開を現場で担当してきた。「イノベーションの推進、グローバルビジネスの強化という取り組みをさらに一層加速させていきたい」と田中氏は説明している。
社長に就任する田中達也氏
社長と会長で役割分担
富士通は2015年、創立80周年を迎える。「80周年を新しい執行体制でスタートを切る」(山本氏)意向で、2015年4月以降に田中経営体制を構築していく計画だ。
2014年6月23日付で取締役会長だった間塚道義氏が取締役相談役となり、会長職不在となっていた。山本氏は「5年の区切りとともにグローバルカンパニーとして事業を進めていく中で、社長1人で内政外政の両方をやっていくことができるほど簡単ではない。社長、会長が役割分担を行う必要がある」と代表権をもった2人体制で経営を行うことが必要だと説明した。田中氏の社長就任後は、山本氏が会長として外政を、田中氏が社長として内政を担当する組織とする。
田中氏は「これからはコンピュータの時代だと考え」1980年に富士通に入社。「当時はメインフレーム全盛期で、Mシリーズといった製品を販売し、他社リプレースを実現するなど営業現場で仕事を行ってきた。入社した頃、社長が小林大祐さんから山本卓眞さんへ社長が交代した時期で、顧客起点だった山本さんには(富士通の社長として)一番影響を受けた」と過去を振り返った
「2003年4月から6年8カ月は、私自身の希望もあり中国に赴任し、現地に進出している日本企業の皆様を支援する事業を担当し、大きな経験となった。2009年12月に帰国し、産業ビジネス本部で大手製造業の顧客向けにクラウド、ビッグデータ関連製品などを提供してきた。2014年4月からはアジアリージョン長としてシンガポールに常駐していた」と営業現場とアジアで実際にビジネスを行ってきた。
山本氏がPCなど製造担当だったのに対し、新社長は営業畑からの登用となった。山本氏は田中氏を次期社長に選んだ理由について、「富士通自らが大きく変革し、ICT変革に対応していかなければならない。そのための行動力、社長としての胆力、判断力、実行力を兼ね備えた人材だと考えた」と説明した。
「シンガポールに常駐していたので、(社長にという話を聞いて)非常に驚いたというのが率直な感想。富士通は大組織であり、私自身の力というよりチーム力を最大限にすることを心掛けたい。私自身としては、常にお客様起点に立ち、何をしなければならないのか、率直にお客様と話していくことが大切だと考える。ICTは変化が激しいために、ともすれば独りよがりの製品開発に陥ってしまうことがある。それだけに常にお客様起点で考えることを重視したい」(田中氏)
現在進めている、2014年に発表した中期経営計画について山本氏は「会社には継続性が大切。社長が変わったからといって発表した内容をほごにするわけにはいかない。ただし、すでに発表している内容に、新社長がプラスアルファを足していくことは必要。プラスアルファを足すことができない人材では、社長をやっていく資格はない」と基本的には新体制後も踏襲する。
田中氏も「すでに(中期経営計画を実践する)体制がスタートしており、現場で実践する立場にあった時には手応えを感じていた」と方向的には賛同できるとした。具体的な体制や取り組み、構造改革を今後どう進めるのかなどについては、「正式な社長就任後にあらためてご説明する」とした。
海外事業を担当してきた経験から田中氏は「グローバルマトリックス体制の進化が最大の課題。海外の現実を見て、その取り組みを加速させたい」と体制強化が重要だとの見方を示した。
具体的には「アジア地域を担当し、アジアという一括りではビジネスはうまくいかないことを実感した。製品はグローバルを意識した製品であるべきだが、現場は各国、政治、文化、GDP(国内総生産)もかなり違う。その国をきちんと見たビジネスを行うことが、結局は富士通のプレゼンスを上げることにつながる」と現場にあわせた営業体制が重要だと強調した。