この世の中、釣りは針に餌つけて水に放り込んで待つだけ、と思っている人が多い。そんなことではビジネスにおける多様性の重要さへの理解は進まないのである。
例えば、海であれば、海底にいる魚、中層にいる魚、海面近くにいる魚と棲む場所は千差万別。餌の食べ方も、一気にガブリといくのもいれば、つつきながら様子を窺うのもいる。もちろん食べ物の好みもエビやら貝やら生きた魚までいろいろなのである。
ゆえに、釣る対象の魚の種類に応じて、竿、仕掛け、餌、針の形、場所、深さなどなどを全部変え、さらにはその日の天候や潮の具合、そして魚の気分まで考慮に入れて釣りに臨むのである。この釣りの奥深さは、魚の世界の多様性を象徴するものであり、海の豊かさの指標なのである。
ところで、米国には公用語がないという。実質的には英語が一般的に利用されているが、多民族国家である米国においては、公用語を定めることについて、必ずしもそれを是としないところがある。
一方、世界で最も多くのイスラム教徒を擁すると言われるインドネシアでは国教の定めがない。同じく多民族国家であるインドネシアは、およそ2億5000万人の国民のうち約80%がイスラム教徒であるが、キリスト教徒やヒンドゥー教徒が多い地域もあり、特定の宗教を国教とは定めていない。
このように多様性を認めることは、常に対立の火種を抱えることを意味する。米国では移民に対する反発から、英語公用語化の議論は常に存在し、インドネシアでも民族対立や宗教対立は常に潜在的に存在している。
話は変わるが、アートの世界に「アウトサイダー・アート」というジャンルがある。一般的には、障碍者が製作した美術作品を指すものとして狭義に解釈されることが多い。
しかし、広義には、正規の美術教育の有無に関わらず、何らかの強い動機に突き動かされて制作される美術全般を指す。そして、それらの作品は、往々にして通常の美術評論のコンテクストから逸脱している。
美術評論家の椹木野衣氏は、「アウトサイダー・アートと反社会性は切っても切れない関係にある」(『アウトサイダー・アート入門』)という。つまり、本当の意味でアートの世界の多様性を推し進めようとすると、社会的弱者のみならず、社会的に問題ありとされる人々も対象に含めていかなくてはならない。
ビジネスの世界においては「多様性=良いこと」と捉えられることが多い。グローバル化やイノベーションの重要性が増している現在の社会では特にそうである。しかし、多様性をきれいごとではなく、本当の意味で推し進めようとすると、常にそこには対立や反発をも含みこんでいく覚悟が求められる。
しかし、釣りの面白さと難しさは、釣りをしない人には容易に伝えることができないように、多様性の面白さと難しさも容易には伝えることができない。いずれも体感あるのみである。
飯田哲夫(Tetsuo Iida)
電通国際情報サービスにてビジネス企画を担当。1992年、東京大学文学部仏文科卒業後、不確かな世界を求めてIT業界へ。金融機関向けのITソリューションの開発・企画を担当。その後ロンドン勤務を経て、マンチェスター・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。知る人ぞ知る現代美術の老舗、美学校にも在籍していた。報われることのない釣り師。