Facebookのタイムライン、これを時間の流れのアナロジーと捉えてみる。友達が増えれば増えるほど、まるでいくつもの人生を生きているような感じで、時間はどんどんスピードアップしてしまう。一つひとつのイベントは、自分のものを含めて相対的な価値が小さくなり、どんどんと流れていってしまう。
ある説によると、成長とともに時間の流れが早くなるのは、人生において1年が占める時間が短くなるからだという。つまり、1歳であれば、1年とは人生のすべて、100%である。
しかし、2歳になると1年はその半分、50%になる。20歳になれば、1年はすでに人生の5%でしかない。そして、歳を重ねるうちに、ついには自分が何歳だったか思い出すことすらできなくなる。
この説によれば、1年の人生における重要度が相対的に下がってゆくために、時間の流れがどんどんと早くなっていくこととなる。Facebookのタイムラインであれば、それがさらに複数人分の人生になって、さらに加速感が増してしまう。理論的にはそうかもしれないが、いまいち納得できない。
この説を最初に唱えたのはPaul Janetという人物ということだが、これを今ではインフォグラフィックで表現したものを見ることができる。このインフォグラフィックの最後の方に面白い話が出てくる。「時間とお金は似ている」という。
何がといえば、どちらも節約することもできれば浪費することもでき、そしてあまりにたくさんあるとその価値が判らなくなる。なるほど、そう言われると、長く生きればその分だけ、時間の価値も判らなくなるか。うーむ。
ところで、観光地なんかで写真を撮ると、写した対象物が思ったよりも小さいと感じないだろうか。撮影のテクニックもあるだろうけど、対象物を目で見た印象は、レンズで見るよりでかいのだ。つまり、カメラで撮影すると、対象物は遠近法に則ったサイズに収まる。しかし、われわれが目で対象物を見るときは、対象物そのものしか見ていないから、実際よりも大きく感じる。
最近だとまずはスマホに収めて、自分の目で見るのは二の次なので、空間を捉える際にも、一つひとつの対象物のインパクトはどんどん小さくなってしまうのだ。そして撮影された画像はFacebookのタイムラインに乗せられて、どんどん流れてゆく。このまますべてのもののスピードが速くなり、すべてのものが小さくなっていってしまうのだろうか。
山口晃というアーティストが『ヘンな日本美術史』という本の中で面白いことを言っている。「絵画と云うのは記録写真ではない訳ですから、写真的な画像上での正確さよりも、見る人の心に何がしかの真実が像を結ぶようにする事の方が大切」(115ページ)なのだと。
絵を描くとき、作家は見たままを描くかもしれないが、それは写真で撮影したものとは違ったものになる。何故なら、それは作家が主観的に捉えた世界であるからだ。
われわれの生活において、理論的には時間は短くなり、対象物は小さくなるが、それとわれわれのエクスペリエンスは別物だ。デジタル化が進めば進むほど、ノンデジタルな感覚とのバランスが大切だ。やっぱ仕事は放っておいて、絵を描こう。
飯田哲夫(Tetsuo Iida)
電通国際情報サービスにてビジネス企画を担当。1992年、東京大学文学部仏文科卒業後、不確かな世界を求めてIT業界へ。金融機関向けのITソリューションの開発・企画を担当。その後ロンドン勤務を経て、マンチェスター・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。知る人ぞ知る現代美術の老舗、美学校にも在籍していた。報われることのない釣り師。