こんにちは、日立ソリューションズの吉田です。今回は、OSSの歴史を少し俯瞰しながら、OSSコミュニティーがどのように変わってきたかをご紹介したいと思います。
OSSの始まりは?
OSSの始まりをどこから書き始めるかは、大変難しい問題ですが、エンタープライズでの適用という視点で考えると「Linuxの誕生」で良いのではないかと思いますので、そこから始めます。
フィンランド大学の学生だったLinus Torvalds(リーナス・トーバルス)氏が、ネットでLinuxの原型を発表したのは1991年でした。なぜ、そうなったかという経緯については、さまざまなところで書かれているので、そちらを参照していただきたいのですが、いずれにしても1991年に公開されました。1994年に「Linux 1.0」を公開しましたが、その頃にMarc Ewing(マーク・ユーイング)氏が「Red Hat Linux」と名付けたディストリビューションを発表し、その後、世界最大のLinuxディストリビュータであるRed Hatを設立しました。それとほぼ同時期にLinuxディストリビュータであるSUSEやTurbolinuxも設立されています。
1997年には、OSSの活動に大きな影響を与えたとされるEric Raymond(エリック・レイモンド)氏執筆の論文「伽藍とバザール」(原題「Cathedral and Bazaar」)が発表されました。この論文の中では、Linuxカーネルとその周辺の手法をバザール方式と定義し、それと反対の手法をカテドラル(聖堂)方式として、「Fetchmail」というソフトウェアを著者自身がバザール(市場)方式で開発した経緯を軸に両方式の特徴を考察しています。この論文に影響されて、翌1998年に、Netscape Communicationsがウェブブラウザ「Netscape Navigator」のソースコードを公開し、その時に初めて「オープンソースソフトウェア」という名称を使用したとされています。
1999年頃になると、このLinuxに注目した大手のハードウェアベンダーが、こぞってLinuxへの支持を表明し、自社のサーバにこのLinuxをバンドルして販売するようになりました。それとともに開発コミュニティーに自社の開発者を送り込むようになり、エンタープライズでの適用に向けて本格的に動き始めました。その成果として、まず2001年に「Linux 2.4.0」がリリースされ、大幅に機能や品質が向上しました。その後、2003年には大規模システムへ適用可能な「Linux 2.6.0」がリリースされ、大手の都市銀行で採用されるなど、Linuxの採用が本格的に始まりました。
日本では2003年11月に、OSSの活用上の課題について自由な立場で議論し、課題解決に向けて取り組むことを目的として、経済産業省が「日本OSS推進フォーラム」の設立を発表しました。その日本OSS推進フォーラムの活動の一部として、OSSを検証するプロジェクトが存在し、「Linuxカーネル」「データベース」「アプリケーションサーバ」の評価を参加各企業で分担して実施しました。各プロジェクトでは、性能、信頼性の検証にとどまらず、問題発生時の解決のためのツールも開発しています。もちろん、プロジェクトでは発見した不具合等をコミュニティーに報告し、コミュニティーに対策を講じてもらいました。このように2000年代初頭は、大手のITベンダーが協力して、OSSの評価検証を実施することで、OSSの活用を図っていくという時代でした。
しかし、その後OSSの適用範囲が広がり、単なる商用ソフトの置き換えのような立場から、イノベーション実践の場としてのOSSというように立場が変わってくることで、開発コミュニティーも大きく変わってきました。まずは、OSSの代表選手であるLinuxカーネルの開発コミュニティーから見ていきましょう。