このようなことが起こった理由の1つには、Torvalds氏のリーダーシップスタイルがあるとBottomley氏は考えている。同氏は「マネジメントに関する、あまり評価されていない事実がある。それは、最初から正しい意思決定など行う必要はない(たいていの場合、十分な情報がないため、正しい意思決定などできないはずだ)。必要なのは、修正可能な意思決定を迅速に行い、修正作業にクラウドソーシングを活用できるようにしておくことだけだ」と述べている。
Torvalds氏に1994年に出会ったPfeifer氏は、同氏のマネジメントスタイルについて、「『正しい』『最善の』コードの実現にのみ注力しながら、より多くの人々が貢献できるようモチベーションを高めていくというのが、同氏の性格と同氏のリーダーシップにおいて私が重要だと考えている側面だ」と評している。
CalderaがRed Hatの強敵であった時代に最高経営責任者(CEO)を務めていたRansom Love氏も、Linuxの黎明期に同OSがビジネスにもたらす可能性を見出していた人物の1人だ。Love氏は「私は、Novellにおいて『NetWare』の次期バージョンの製品マネージャーとして働いており、多くのエンジニアらとマイクロカーネルやさまざまなテクノロジに関する実験をしていた。そういったエンジニアの1人がBryan Sparks氏だ。同氏が私にLinuxの存在を教えてくれた。当時、Linuxを使っているのはほんの一握りの人々だった。そしていくつかあるディストリビューションのなかで『Slackware』が、抜きん出た存在になろうとしていた頃だった。Bryanと話をしているうちに、われわれはネットワーク関連の機能すべてを取り込んだデスクトップを作成し、NetWareに添付して無償配布できると感じた」と説明している。
Novellはその10年後の2004年にSUSEを買収することになるが、残念ながら当時はLinuxを生かすための準備ができていなかった。このためSparks氏とLove氏はNovellを辞め、Calderaを立ち上げた。
Calderaはその後、SCOからUNIXの諸権利を譲り受けたとして訴訟を起こし、大騒動を巻き起こすことになるが、Love氏はそれ以前に同社を去っていた。しかし同氏はLinuxとオープンソースの推進者として活動を続けた。Love氏は「Linuxとオープンソースに引き付けられた人々の数と質、能力」に今でも驚きの念を抱いており、「自らのアイデアと技術を出し惜しみせずに共有するという考え方は、いまだに社会を根本的に変革し続けるとともに、テクノロジのイノベーションを次から次へと引き起こしている」と述べている。