90年代半ばには、他にもさまざまな人々がLinuxコミュニティーに参加している。Linux Mint Projectを立ち上げ、現在もそのリーダーを務めるClement Lefebvre氏は、「手を染めたのは90年代のSlackwareからだった。フロッピーが大学内で回覧されていた。われわれは『AIX』を使用していたため、自宅でUNIXライクなOS環境を使用できるという点に多くの仲間が引き付けられた。そのうえ、オープンソースであるため、一目で気に入ったというわけだ。私はその後、10年ほどSlackwareを使い続けたのが良い思い出となっている」と述べている。
他の人たちはより実践的な理由を挙げている。Fedora ProjectのリーダーであるMatthew Miller氏は「ある友人と私は90年代半ばにISPを立ち上げた。われわれはインディアナ州ラグランデのアーミッシュ(200年前の生活様式をかたくなに守り、自給自足を旨とするコミュニティー)の拠点に初めてインターネット接続を提供した(本当の話だ!)。われわれのコアインフラは当初、『Windows NT』だったが、どのような対処を施しても毎晩クラッシュするサーバがあった。このため、ある日の夕方(あるいは早朝)、かねがね評判を聞き及んでいたLinuxを採用しても事態はこれ以上悪化しないだろうと判断した」と説明している。
同氏は「このため、5種類のCDディストリビューションを注文し、郵送してもらった(中略)最初のディスクは『Red Hat Linux』だったが、どうしたわけか起動しなかった。次に試したのはSlackwareであり、これはうまく起動したため、Slackwareを選択した。おかしな話だが、『Debian GNU/Linux』を先に試していたら、私の人生はまったく違ったものになっていただろう。いずれにせよ、他のサーバもLinuxに変更しようという決定に至るまでに数週間もかからなかったと記憶している。私のワークステーションも切り替え、それ以来、重要な作業では他のOSを使用していない」とも述べている。
同氏が特別な人間というわけではない。Linuxはデスクトップ分野こそ制覇していないが、万能のOSとなっている。Linuxは「Android」搭載スマートフォンのOSとして採用され、あなたがアクセスするほとんどのウェブサイト上で稼働しており、Wi-Fiルータやテレビ、ハードディスクレコーダーを縁の下から支えているのだ。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。