IT×芸術論:芸術を通してITの未来を考える

20世紀末、3本の映画が予言していた「モノ」と「所有」の終焉

高橋幸治 2018年10月22日 07時00分

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私たちの価値基準が「モノ」と「所有」から離れ始めた予兆

 Appleの「watchOS 5」が9月18日にリリースされたのを機に、遅ればせながら交通系ICカードを「Apple Watch」に移行した。左腕に巻いたApple Watchを改札の右側にある読み取り機にかざすのが面倒との声もあるようだが、「カード」という物質から解放された気分は何とも言えず清々しいものである。たかだか薄っぺらい交通系ICカードだけれども、私たちはこうして段々と「モノ」から離脱するのだなと実感する。

 経済の世界では「モノ消費」ではなく「コト消費」といわれるようになって久しい。実際、筆者もここ5~6年の間に「所有」に対する執着が急速に薄れ、さまざまな「モノ」を売ったり捨てたりして処分したクチである。恐らく10年ほど前から「モノ」に自身の価値を仮託することに疑問を感じ始め、「東日本大震災」以降そうした漠たる気分が確たる意思になり、現実の行動に結び付いていったのだろう。

 厳密に言うと「モノ消費」とは「モノ」の「所有」のことであり、「コト消費」とは「コト」の「共有」のことである。「モノ」から「コト」へのシフトは「所有」から「共有」へのシフトを含み込んでいるから、消費する対象が物質から体験へと変化したという単純な話ではない。つまり、「物欲」に根ざした従来型の経済はもはや通用しないということであり、同時に、誇示的な消費も急速に時代遅れの価値観になっていく。

 この「所有」から「共有」への価値転換を後押ししたのは、間違いなく、世界規模のネットワークであるインターネットだろう。ということは、日本に住む私たちが「モノ」への飽きと、「所有」への疑いを感じ始めた決定的な契機は2011年の東日本大震災だったにしても、その兆候が世界的に芽生えてきたのはもっと以前からであると考えていい。そのターニングポイントとなったのは、恐らく2001年の「アメリカ同時多発テロ事件」だったはずである。

 21世紀はまさにあの惨事から幕を開けたと言ってよく、不動と思われていた20世紀的な原理が、その成果の象徴である二棟の超高層ビルとともに崩れ落ち、同時に、21世紀的な、不可視で、不定形の、不気味な何かが暴力的に世界に注入された。2001年といえばパーソナルコンピュータやインターネットが加速的な普及期を終え、黎明(れいめい)期から続いた10年(1990年代)とは質・量ともに異なる変化を世界にもたらし始めた時期である。そして、アメリカ同時多発テロ事件の衝撃とともに私たちの価値基準は変質をきたし始めた……。

『トゥルーマンショー』が予見した20世紀型資本主義の終わり

 本連載の趣旨は文学や映画、音楽、美術などといった芸術の中に埋め込まれた時代の感性をヒントに、ITの未来を独自の視点から考えるというものである。それは、マクルーハンが「人間の文化の歴史には、個人生活および社会生活のさまざまな要素を新しい拡張に意識して適応させた例がない。ただ例外は、芸術家たちの些細末梢の努力だけだ」と述べているように、芸術が世界の変化の予兆を私たちに先んじて示してくれることが往々にしてあるからだ。実際、「モノ」と「所有」の終わりも20世紀最後の数年に映画というメディアにおいて見事に予言されていた。

 1998年、『トゥルーマンショー』という一見、荒唐無稽でファンタジーとも思える奇妙な映画が公開された。同作はエンターテインメントとして十分に楽しめるものだけれども、いまにして思えば20世紀の終わりの始まりとも受け取れるような、実のところかなり深刻なテーマを包含した作品である。監督は70年代に『ピクニック at ハンギング・ロック』を撮り、80年代には『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985年)、『モスキート・コースト』(1986年)、『いまを生きる』(1989年)など、立て続けに話題作を手掛けたPeter Weirである。

 『トゥルーマンショー』は保険会社に勤務する平凡なセールスマン=トゥルーマン(Jim Carrey)の日常生活を描いたものだが、彼の住む巨大な離島=シーヘブンは実は壮大な撮影セットとなっており、トゥルーマンの家族を含む全ての住民はことごとくエキストラ、つまり、トゥルーマンの日々の行動、一挙手一投足は「番組」としてテレビで放映されていたのだ。

 当然、番組=「トゥルーマンショー」には「広告」も挿入されており、それはトゥルーマンの友人知人たちが彼とのコミュニケーションの中で毎度実演する形式になっている。親友のマーロンはトゥルーマンと会う際に必ず決まったビールを飲んでいるし、妻のメリルは新たに購入した製品をトゥルーマンの前で不自然なまでにくどくど説明する。

 やがて、ふとしたことからトゥルーマンは自身の周囲に繰り広げられている虚構に気付き、シーヘブンからの脱出を図る。これは“自分の生活が多くの人々にのぞき見されていた”ことに対する憤慨であると同時に、「広告」を通して植え付けられる“不必要な「モノ」まで「所有」しなければならない”という強迫観念からの逃亡でもある。

 先程、筆者は『トゥルーマンショー』のことを「一見荒唐無稽なファンタジーとも思える奇妙な映画」と表現したが、あえて「一見」と断ったのは、同作が描いているシーヘブンは決して“映画の中だけのあり得ない世界”ではないからにほかならない。インターネット以前の1980年代、我が国にも現実にシーヘブンは存在した。社会学者の北田暁大氏は『広告都市・東京 その誕生と死』(ちくま学芸文庫)の中で以下のように書いている。

 こうした広告―マスメディア―資本主義によるトライアングル編成は、〈八十年代〉日本において、学問的言説をも巻き込み、臨界点に到達したと言うことができよう。そこでは、もはや広告はことさら「私を見よ!」と絶叫することはない。なにしろ、すべては広告であり、広告的なるものから免れうるものはなにひとつない(という神話が制度化されていた)のだから。「私を見よ!」と語ることなく、「私を見ずにはいられない」世界の枠組みを構築すること。強烈な自己主張のスタイルとして生まれたadvertisementは、ここにいたり、告知する(advise)ことなく広告する方法論を完成させる。『トゥルーマン・ショー』が夢想的に描き出した純粋な広告空間=シーヘブンは、〈八十年代〉日本の都市において実現化していたのである

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