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IT×芸術論:芸術を通してITの未来を考える

「無音」を聴くイマジネーションの重要性

高橋幸治

2019-08-28 07:00

三味線音楽における「間」は単なる無音=音の不在ではない

 もうかれこれ12年ほど邦楽を習っている。邦楽といっても浄瑠璃から長唄、能の謡といろいろあるけれども、筆者が稽古しているのはいわゆる小唄や端唄といった三味線音楽で、上達したのかどうかはさておき、2015年には一応師匠から名取を許され芸名もいただいた。殺伐とした俗な世界から一時距離を置き、こうした芸事に浮世を忘れるのはなかなかいいものである。

 同時につくづくと思うのは、元来、あまりひとつのことに長々と没入していられない、いわば飽きっぽいタイプであるにも関わらず、こうして10年以上も続けていられるのは、師匠の指導がいいのはもちろんのこと、やはり、邦楽という芸術がいかに奥深いものであるかということだ。

 くめども尽きぬというか底が見えないというか、稽古を積めば積むほど新たな発見があり、そして新たな壁にぶち当たる。人形浄瑠璃・文楽の四代目竹本越路大夫は、自身の引退に際して「一生では足りなかった、もう一生ほしかった」と語ったというが、名人をもってしてもそんなわけだから、筆者に芸の何たるかがなかなか分からないのは当然といえば当然である。

 しかし芸道の極意などはまるで見当がつかなくても、さすがに10年以上も続けていると多少は理解できることもある。邦楽の他のジャンルに関しては詳しいことは分からないが、ひとまず筆者が習っている類の三味線音楽に限っていえば、これがなかなかルーズというか適当というか、ある意味でとても「いい加減」な要素を持っている。小唄や端唄は唄と三味線だけで構成される極めてシンプルな音楽であり、一人の演者が両方をこなすこともあれば、一人が唄ってもう一人が糸を担当する場合もある。演目によっては三味線が本手と替手に分かれて複雑な伴奏を行うことがあるものの、結局、唄と三味線だけというミニマムな編成に変わりはない。

 では、いかなる点が「いい加減」なのか……? その究極はやはり正確なテンポの不在にあるといえるだろう。周知の通り三味線音楽には洋楽でいうところのリズムとかビートとかいうものは存在しないから、例えば、だいたい2分くらいの曲が1分半で終わろうが2分半かかろうが基本的には関係ない。重要なのは唄と三味線の息が合っていることで、唄がそれなりに伸びれば三味線もそのように弾くし逆もまたしかりである。

 つまり、譜面通りに忠実に唄い、忠実に弾くということはまずないと言っていい。唄と三味線の両者があまりにも譜面通りに演奏すると、なんだかつまらない、野暮な印象を生んでしまう。重要なのは“再現性”の追求ではなく、その日その日、その時その時への柔軟な対応であって、唄と三味線は互いに互いの“一回性”に神経を集中させ、その微かな息づかいを読み取り合おうとする。この言葉ではなかなか表現できない、タイミングのせめぎ合いのようなものを邦楽の世界では「間」と呼ぶ。「間」が絶妙さを欠いてしまうと、それは間の悪い、間が抜けたものになってしまうのである。

 上述したように小唄や端唄は唄と三味線だけの非常にシンプルな構成だから、「間」はすなわち有音と無音の「間」であると言っていい。むしろ、聴衆が聴いている音楽の良し悪しは、実は音と音の「間」(あいだ)=無音にこそ宿っている。精神病理学者の木村敏氏は、名著『あいだ』(ちくま学芸文庫)の中でそのことを以下のように書いている。

ここでわれわれは、先に「間」について書いたことを思い出しておこう。音と音とのあいだの音のない空白、これを普通は「間」と呼ぶのだが、生きた音楽においてはこれは決して単なる沈黙ではない。

 木村氏はさらにその直後、現代音楽家である武満徹氏の言葉を引用するのだが、それは次のような内容である。「間」は決して音の不在ではない。「間」は音として聞き取れるものではないけれども、音を音たらしめるために不可欠の要素である。つまり、「有音」に意味があるのは当然だが、それと同程度、もしくはそれ以上に「無音」にも意味がある。

 木村氏は『あいだ』の先の記述に続いて現代音楽家・武満徹氏の「間」に関する意味深い言葉を引用しているので、ここにその一部も紹介しておこう。

(中略)……その無音の沈黙の間は、実は、複雑な一音と拮抗する無数の音の犇(ひし)めく間として認識されているのである。

 新しいテクノロジーやメディアは常に、古いテクノロジーやメディアがあぶり出せなかったモノやヒト、コトを照明する。従ってインターネットの時代に生きる私たちは無数に存在するさまざまなサービスなどを通じて、あらかたの声、おおかたの声を拾い上げられているようについつい思ってしまう。確かにインターネットはそれまでマスメディアが光を当てられなかったモノやヒト、コトを、その微細な網の目(=ネット)によってすくい上げることができたが、それでもまだまだこぼれ落ち、拾い上げられていない声がある。沈黙は現状の肯定であるという乱暴な見解も存在するけれども、メディアによって拡声される騒々しい「有音」だけが全てであるはずはない。

 さまざまな音が聞こえるようになった今こそ、私たちはそれでもなお聞こえない音にイマジネーションを働かせるべきではないだろうか? 今、聞こえていない音=声とは何なのか? それはなぜ聞こえないのか? なぜ鳴り響かないのか……? 

 私たちは今あまりにも近視眼的に局所性だけを問題化し過ぎている。レンズの倍率を少しだけ変えてみるだけで、そこにはこれまで見えてこなかった要素同士の有機的な連関性が見えてくるし、全体性の中では「有音」と「無音」が等しく並存していることも発見できるだろう。そしてさらに、「無音」は単なる音の不在ではなく、武満氏の言うような「複雑な一音と拮抗する無数の音の犇(ひし)めく間」として認識され得るはずである。

 「見えているもの」「聞こえているもの」「感じられるもの」だけに惑わされてはいけない。焦点化は必ず盲点化を伴うものである。何でも見える、何でも聞こえる、何でも感じられるという幻想がはびこる現代にこそ、不可知に対する感性が要請されるのではないだろうか? 「間」という「有音」以上に重要な「無音」の価値が、私たちにそうした反省の機会を示唆してくれている。

高橋幸治
編集者/文筆家/メディアプランナー/クリエイティブディレクター
1968年生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、1992年、電通入社。CMプランナー/コピーライターとして活動したのち、1995年、アスキー入社。2001年から2007年まで、Macとクリエイティブカルチャーをテーマとした異色のPC誌「MacPower」編集長。2008年、独立。以降、「編集=情報デザイン」をコンセプトに編集長/クリエイティブディレクター/メディアプランナーとして企業のメディア戦略などを数多く手がける。国際ファッション専門職大学国際ファッション学部教授。日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。著書に『メディア、編集、テクノロジー』(クロスメディア・パブリッシング刊)がある。

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