庭山一郎「戦略なきIT投資の行く末」

PoC貧乏のメカニズムと対処法--PoC死にならないために

庭山一郎 (シンフォニーマーケティング)

2020-11-10 07:00

 2019年からの1年半で、IT系の企業から弊社に持ち込まれた相談で最も多かったのは「PoC」(Proof of Concept)に関するものでした。販売戦略の中にPoCを採り入れたものの、PoCばかり増えて一向に実契約に結び付かず、もうすっかり疲弊してしまったというものです。これを「PoC貧乏」と呼び、その先にあるのは「PoC死」(ポック死)です。

 PoCは「概念実証」と訳されます。元々は定義が決まっていて「実証実験」でもなければ「試作」でもない、ということになってはいますが、今のカスタマイズを伴うパッケージやIoT関連の営業現場ではすっかり「無料の試作」になっています。無料の試作ばかりをせっせと作って疲弊して死にそうになっているのですから、「そんなお人よしがいるのだろうか?」と思われる方もいるでしょうが、今の日本のIT産業では良く見かける姿なのです。

 私はPoCが悪いとは思っていません。そういう名前は使いませんが、顧客が概念、機能、効果を確認するために、あるいは実験でデータを収集するために試作を作るのはどこの産業でもあることです。誰もそれで貧乏になっていませんし、死んでもいません。

 前回のコラムでIT産業のSIer(システムインテグレーター)とパッケージベンダーを、「フルカスタマイズでオリジナルの住宅を建てる工務店と、規格された住宅を工場で作るハウスメーカー」に例えました。同じ表現を使うなら、工務店が家を建てるときに模型を作る場合があります。

 本物の家の25~50分の1のスケールで作り、それで外観や内装・レイアウトの確認などをすることができます。さらに現代のCAD(コンピューターエイデッドデザイン)の3次元技術を使えば「ウォークスルー」と呼ばれる仮想現実(VR)空間で家の中を歩くこともできます。立体的なバーチャル画像の中で玄関から入って、居間やキッチンを3Dで歩き回って確認することが可能なのです。

 その便利な模型も3Dウォークスルーも、多くの場合施主は作りません。理由は「お金が掛かる」からです。模型や3Dで確認した方が良いのは分かっていますし、多くの人にとって「家」は一生に一度の最も高価な買い物です。それでも限られた予算の配分を考えれば、応接セットやシステムキッチンの予算を削ってまで模型やウォークスルーは作らないのです。

 しかし、もし工務店の営業さんが住宅展示場に来た人に「無料で設計して模型を作ります」と言ったらどうでしょうか。「コンピューター上であなたの家の中を歩き、壁や床の色や素材を替えてイメージを確認することができます、無料で」と説明すればほとんどの人が「作って下さい」と言うでしょう。それを作っても応接セットの購入を1年待たなくて済みますし、システムキッチンのグレードを落とさなくて済むなら作ってもらうに違いないのです。しかも家を建てる約束も、建てるときにその工務店に発注する約束も必要ないなら断る理由はないでしょう。

 実はデザインというものは制約条件があるから決まります。住宅で言えば土地の地形(じがた)や方位、容積率や建ぺい率などの用途制限、予算、家族構成、そして納期などです。もし土地の用意もまだない若い夫婦が、予算も曖昧なときに未来の家のデザインをすればそれはただの夢のスケッチで、実際に建てるときとは全く別のものになるでしょう。今のPoCは単純に言えばこれと同じです。

 そして企業は「ただ(無料)」のものには価値を認めません。費用にも資産にも計上されていないものは企業にとって「存在しないもの」です。だからPoCで止まることが多いのです。

 もし社内稟議を経て獲得された予算を使ってPoCを行い、定義された数値目標をクリアしたら、すぐに次の工程、つまり本導入に進むはずで、そうでなければPoCへの投資が無駄になってしまいます。その投資をしていないから安心して止めるのです。

 普通の産業から見ればIT産業でのPoCは、PoC自体が目的で、ある意味興味本位でやっているように見えます。PoCの結果がどうであれ本導入の予算などは確保できていないケースが多いからです。これでは貧乏になるのは当たり前ですし、貧乏などではなく、部門別や製品別の管理会計で見ればPoCに使った打ち合わせや制作費は全て部門費用に乗ってくるから損益計算書(P/L)が大赤字になるでしょう。

 もし研究開発費に仕訳して貸借対照表(B/S)に資産計上しても、売り上げを生まない資産はいずれ特別損失で落とすことになります。いずれにしても回収できない投資なので、この製品やサービスは廃番に追い込まれるでしょう。これがPoC死(ポック死)です。

 弊社にPoC関連で相談に来る方が口をそろえるのは「顧客はひどいのです、散々振り回して本導入してくれないのです」という恨み節ですが、私は「顧客を変えることはできませんから、売り方の問題を改善しましょう」と提案します。

 BtoBのマーケティング&セールスにはスタンダードモデルがあります。2007年に米国のBtoBマーケティング&セールスに特化したリサーチファームのSiriusDecisionsが提唱した「デマンドウォーターフォールモデル」(Demand Waterfall Model)です。

 マーケティングもセールスのこのモデルに沿って実数を入れて設計するのですが、PoCもこの設計の中で数値化すべきなのです。つまりPoCを販売プロセスとして定義し、その何%が本導入になると仮定して設計されているべきなのです。それが25%であれば20億円の受注を獲得したければ80億円分のPoCをやれば良いのです。そのPoCの原価が1件で約1000万円とするなら、受注決定率から計算して4000万円の値付けをすればPoCが赤字になることはありません。PoC貧乏にはならないのです。

 もちろん最初からこうしたモデルに沿った設計通りにはならないものですが、設計していれば修正できますし、設計と大きく違うポイントを分析して手を打つことができます。今のPoCはマーケティングとセールスの設計の中に組み込まれていないことが問題なのです。

 さらに、もし競合が無料でPoCを行っているから今さら有料にはできないということであれば、管理会計に仕訳してどのくらいの累積赤字を積んでいるのかを検証すべきでしょう。

 ビジネスは数字であり、その数字とは金額にほかなりません。それをマーケティングや営業で実数として設計し、検証し修正することが原理原則なのです。

庭山 一郎
シンフォニーマーケティング 代表取締役
1962年生まれ、中央大学卒。1990年9月にシンフォニーマーケティングを設立。データベースマーケティングのコンサルティング、インターネット事業など数多くのマーケティングプロジェクトを手がける。1997年よりBtoBにフォーカスした日本初のマーケティングアウトソーシング事業を開始。製造業、IT、建設業、サービス業、流通業など各産業の大手企業を中心に国内・海外向けのマーケティング&セールスのアウトソーシングサービス、研修サービスを提供している。中央大学大学院ビジネススクール客員教授。

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