「Linux自体で利益を得ようとするならば、ディストリビューション事業を展開することになりますが、実際のところディストリビューターはどこもうまくいっていないのが実情です。ディストリビューターとしてビジネスを展開するには、得意なユーティリティ系ソフトを組み込む、あるいは人材育成的なサービス、もしくは技術サポートが源泉になります」
そうした分析から、日本SGIとしてLinux/OSSを基盤としたビジネスとしてSaaS事業を展開するのである。ここでのポイントは、OSとミドルウェアからなる基盤の上に、他社と差別化できるアプリケーションのレイヤに踏み込むことだ。
「付加価値のあるアプリケーションに対価を支払ってもらうことになります。そこではコアコンピタンスを持つ必要があり、きめ細かいサービスメニューを提供することが求められています」(高澤氏)
旧OSDLの日本の統括責任者に
高澤氏は1999年に日本SGIに入社したあとで、Linuxビジネスを推進するという仕事に携わるようになる。米SGIに各種アプリケーションをLinuxに移植するチームが発足し、高澤氏は、そのチームを日本法人で対応することが求められたのである。具体的には、コンピュータグラフィックス(CG)系、データベース(DB)系、ストリーミング系の分野でLinux関連ビジネスを立ち上げるという仕事を担当していた。
その後、2001年に日本SGIでは、Linux専用サーバを製品化する計画を延期してしまう。ここから同社でのLinux関連ビジネスは、ソフトウェアと一緒にハードウェアを売ることを方針転換し、Linux/OSSのソフトに注力するようになり、そのことは現在に至るまで続いている。
2001年になってから、高澤氏は日本SGIを休職して、Linux/OSS関連団体で働くこととなる。旧Open Source Development Labs(OSDL、現在はThe Linux Foundation:TLF)の日本での初代の統括責任者を2003年まで務めている(なお、TLFの現在の日本での統括責任者は工内隆氏)。このほかにも、Linux技術者認定機関である特定非営利活動法人(NPO法人)のLPI-Japanの理事、日本Linux協会(JLA)の理事や副会長など、広く業界団体やコミュニティーの活動に参画している。
そして2003年秋に高澤氏は日本SGIに復職。現在のアドバンスドテクノロジーコミッティで、Linuxの専門家という立場であるチーフLinuxコンサルタントとなっている。パートナーの開拓や有効なソリューションの探求など、Linux/OSSビジネス全体を開発するのが、主な仕事内容となっているという。このために、海外のイベントに参加したり、日本国内の外部団体で活躍したりしている。