エンタープライズトレンドの読み方

シリコンバレーが保証する究極の「職業選択の自由」--ビジネスアイデアの仕掛け

飯田哲夫 (電通国際情報サービス)

2013-10-08 12:00

 恥ずかしながら知らなかったのだが、シリコンバレーが属するカリフォルニア州では、雇用契約に「非競合条項(Non-compete Agreements)」を入れることが禁止されている。どういうことかと言うと、企業の従業員が退職する際に、競合他社へ転職することを禁じるなどの条件を付すことが許されていない。

 もちろん、カリフォルニア州以外でも職業選択の自由は保証されているが、企業の利益を保護するために、例えば、当初の雇用契約期間中は競合他社へは転職できないなど条件を付すことが可能なのである。

 しかし、カリフォルニア州法では、こうした制約を付けることが一部の例外を除くと一切許されていない。すなわち、あるベンチャーで働いていた従業員が、そのベンチャーのアイデアを使って自分の会社を立ち上げたり、ほかのベンチャーで同じことをやり始めたりしても、雇用契約上は何ら問題がないということである。

 従業員にとっては良いかもしれないが、経営者にとってみると大変困った法律である。投資家にしてみても、せっかくの投資が従業員の転職でふいになりかねない。

 しかしながら、前回取り上げた『MIT Technology Review』誌の記事では、この究極の「職業選択の自由」を、シリコンバレーがイノベーションハブとして大成功した理由の一つとして挙げている。何故だろう?

普通の世の中では

 一般的にビジネスにおいては、ノウハウやアイデアが人材とともに流出することを嫌う。当然だ。例えば、ある企業が別の企業と提携するような場合、提携先が自社の従業員を雇用しないよう求めたり、提携先との事業に携わる従業員が同様の事業を行わないことを求めたりする。

 ビジネスアイデアの流出に関して企業というのは非常にセンシティブだ。非競合条項も、それ故に存在するわけだ。

 ところが、カリフォルニア州のように、せっかくのアイデアを持ち去られて、しかもそれを使ってビジネスを始められたらたまったものではない。経営者にしてみたら当然のことである。これでは競合他社と貴重なビジネスアイデアや人材を共有しているのと同じである。

 では、なぜ、企業経営者にしてみたらとても許容できない法律が存在し、しかもその土地でビジネスを行いたいというベンチャー経営者がシリコンバレーには集まるのだろうか? そんな非常識な企業間の協調関係に何のメリットがあるのだろう?

競合する企業が協調するケース

 競合する企業同士が協力関係を築くことのメリットを説く経営論もある。かつて“コーペティション(copetition)経営”ということが言われた。これは、熾烈な争いを繰り広げる企業同士にも、ある側面においては積極的に共同歩調を取ることでお互いのビジネス拡大に寄与できるとするものだ。

 これは、既存のビジネスを脅かす新しいビジネスモデルが立ち上がろうとするときなどに当てはまる。例えば、ネット系企業同士が手を組んで、ネット経由での医薬品の販売の認可を求めた事例などがそうだ。お互いは競合関係にあるが、ネットでの医薬品販売を認可を取得することで新しいビジネスを創るという点では利害が一致する。

 しかし、ここで協力するのは市場創造のプロセスであって、その中でいかに戦うかというビジネスアイデアにおいてではない。コーペティション経営は、競合他社との協調が自己の収益の最大化につながるときにのみ成り立つものであり、カリフォルニア州の非競合条項の禁止とは異なる。なぜならば、非競合条項の禁止によって人材が他社へ流れてしまえば、自己の収益機会が損なわれることにつながるからだ。

ビジネスアイデアの実現を最適化する

 では、企業を中心に考えずに、ビジネスアイデアを中心に考えたらどうだろう? 非競合条項を禁止して人材の流動化を促せば、ビジネスアイデアが、それが最も実現し易いところへと流れていく。ある経営者のもとでは無理だなと思えば、そのアイデアを持って別の経営者のもとへ走って実現することが可能になる。

 非競合条項の排除は、個別企業の収益を最大化することにではなく、個々のアイデアが具現化し、そのアイデアから生み出される収益が最大化する仕掛けだといえるだろう。

 なるほど、企業ではなくビジネスアイデアを主役に据えて、全てを最適化する。だから、シリコンバレーはイノベーションハブとして発展するし、新しいビジネスが実現する確率が高まるわけだ。シリコンバレーに集まるのは、ベンチャー企業ではなく、ビジネスアイデアを持った人なのである。

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飯田哲夫(Tetsuo Iida)

電通国際情報サービスにてビジネス企画を担当。1992年、東京大学文学部仏文科卒業後、不確かな世界を求めてIT業界へ。金融機関向けのITソリューションの開発・企画を担当。その後ロンドン勤務を経て、マンチェスター・ビジネス・スクールにて経営学修士(MBA)を取得。知る人ぞ知る現代美術の老舗、美学校にも在籍していた。報われることのない釣り師。

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