第4回でパケット定額制の不合理について述べた。今回は、そのパケット通信のトラフィック増加の原因となっている動画について考えてみたい。
一般的に言って、動画といえば今でもテレビ放送が一番の媒体である。最近の番組のなかでは、「半沢直樹」や「あまちゃん」が記録的な高視聴率を収めたことは記憶に新しい。今でも地上波放送は、いわゆる「マス」に対する広告効果という点で絶大な影響を誇っていることは事実である。
しかしながら、テレビの視聴率が年々落ちてきていることは避けられないトレンドであり、多くの放送事業者が頭を悩ませているところである。マスという概念は今後もさらに崩壊し続け、特定の例外的な番組以外が高視聴率を稼ぐことは非常に困難になっていくことは明らかであろう。
これまで視聴者がテレビに費やしていた時間を、インターネットに費やすようになっていることはさまざまな調査や研究で明らかになっているが、そのネット上で何をしているかというと、実は動画の視聴に多くの時間を割いているのである。
実際、ネット上を探ってみれば、自分の興味のある分野の動画がそれこそ玉石混交ではあるが山のように存在する。視聴者の立場で言えば、自分が見たいと思う動画(番組)があればそれで良いのであり、その番組が「放送」されていなければ、「通信」媒体で見れば済むことなのである。
そもそも放送と通信とは、何が違うのだろうか。
日本においては「放送法」に基づいて番組(コンテンツ)を送信しているのが放送であり、通信は「電気通信事業法」に基づいている。
法律はさておき、実際には放送は通信の一形態以外のなにものでもない。通信の内、「不特定多数の受信者に対し、同一時刻に情報を発信する」ものが放送である。とはいえ、このように放送を定義すると「ケーブルテレビによる放送は、『特定』多数向けではないか」、あるいは、地デジ化後は、「視聴者から放送局側に向けた情報発信も行われている(双方向性がある)」という反論もあるであろう。
その通り、実際には放送と通信とは(法律以外の側面、特に技術的な面では)不可分と言っていいのである。だからこそ、これまでに何度も「放送と通信の融合」という話題が議論の場に上がり、あるいは葬られている。放送は利権の固まりであり、だからこそ「放送と通信の融合」は政治ネタとして時に盛り上がり、違う政治ネタが旬の時には忘れ去られるのである。