ユーザーエクスペリエンス(UX)とは、「システムやサービスを使った・使うことを想定したことに対し受ける感覚や反応」のことである。
ユーザーにシステムを使ってもらうにあたっては、UXを考慮せねばならないし、それがシステムの価値や存在意義を左右する。そのシステムが何かの課題を解決したり、タスクをこなしたりするためのものであれば、システムのもたらすUXはそのまま課題解決やタスク実行のUXにつながり、解決や実行の質につながる。
そのため、何かの課題をシステムで(ITで、さらにはもっと広い意味での何らかの仕組みで)解決しようと思ったときには、まず「課題解決やタスク実行に伴うUX」を考え、そこからシステムや仕組みを設計すべきである。それがおろそかになっていると、ちぐはぐなものしかでき上がらない可能性が高まると言っても過言ではない。
この連載では、過去、現在、そしてまだ見ぬようなものも含め、さまざまなタイプの事例をUXやUIの視点から考察し、それを通じて、ITやITを利用した課題解決に当っての欠くべからざる視点を提供したい。一見関係なさそうに思われる事例や考察も取り上げるかもしれない。もちろん、筆者の考える関連性はあるのだが、読者の皆さまはそこから各自の視点で必要な課題解決のための考察につなげていただきたい。
UXを意識したシステム設計のためには広い視野、種種雑多な視点(そして知識や技能)が必要であり、それは、自らさまざまなことを観察し見出すことで得られるものなのである。
初回である今回は、計算機自体のもたらしたUXについて考えたい。そして、この先もたらすべき、あるいは、もたらされるであろうUXの方向性を考察したい。
初期の大型機の時代
プログラム可能な計算機が発展を始めた初期のころは、計算機はまさに「計算機」であり、すなわち弾道計算などの数値計算が目的のものであった。大型計算機に投入されるプログラムとデータは穴を開けたカードの束として用意し、まとめて引き渡す。そして結果は膨大な数字の羅列のプリントアウトで出力される。
つまりは「計算機の力」が使えるのはメインの計算部分のみであり、人間に分かりやすいデータ形式から計算機が判る形式への変換、その逆の変換など、 その前後にはいろいろな技能を持ついろいろな人の手が関わらねばならなかったのである。昔のロボットアニメには「博士」がコンピュータの出力する穴の空いた紙テープを読み取り危機などを察知するというような描写が出てくるが、計算機とやりとりするというのは、そんなとても高度な特殊技能であった。