ウイスキーを愛する好戦的なカウボーイがこの町を創設したように、ドローンコミュニティーの革新者はここペンドルトンで、危険を冒して新境地を切り開くことのできる場を創設した。
市の経済担当ディレクターであるSteve Chrisman氏が主導して、ドローンの革新者たちをペンドルトンに呼び寄せた。休眠中の空港や開放耕地で21世紀の「金のなる牛」を追うためだ。
世界の商用ドローン市場の収益は、2028年までに5000億ドルを超えるだろうという見方もある。
しかし、現時点では、その見込みのほんの一部の市場規模にとどまっている。また、市の経理台帳を見てみると、ペンドルトンでは未だドローン産業からの直接の収入より、支出の方が大きく上回っている。
Chrisman氏らは、この長期的な賭けについては回収の見込みが立ったと述べている。ここ2、3年でUASのビジネスが急成長しているからだ。しかし、Chrisman氏は懐疑的な声が上がることにも理解を示す。
「『作ってしまえば客はやってくる』というのは、皆を怖がらせるだけだ。オレゴン州東部の小さな農村ではなおさらだろう」と、Chrisman氏は米ZDNETに語る。「それでも現実として、今までやってきたことはすべて『作ってしまえば客はやってくる』であり、実際に客は来た。そして今もそれが続いている」
Chrisman氏は少し考えてから、こう付け加えた。「これまでの道はでこぼこだらけだった。それについては間違いない」
ペンドルトンの経済担当ディレクター、Steve Chrisman氏(右)とPendleton UAS Rangeマネージャー、Darryl Abling氏(左)。この2人がペンドルトン空港をドローン開発の中心地とする取り組みを先導している。
提供:Stephanie Condon / ZDNET
「無」を市場性のある商品に転換
2012年、米国議会の決定により、ドローン試験を軍事用の制限空域外で実施する扉が開かれた。このときChrisman氏は、ペンドルトン空港を転用するチャンスだと認識した。第2次世界大戦時代につくられたペンドルトン空港はほぼ過去の遺物となっていた。もっとも、その歴史には物語がある。
第2次世界大戦に日本列島への初めての空爆作戦を開始したドーリットル空襲部隊は、このペンドルトンの地で訓練を積んだ。米軍唯一のアフリカ系アメリカ人によるパラシュート大隊「Triple Nickels」はペンドルトンから極秘作戦を開始し、米国に落とされた日本の風船爆弾の回収と破棄を実行した。
戦後、ペンドルトン空港は民間航空会社を受け入れたが、航空事業は徐々に落ち込んだ。2000年代にはHorizon Airにも撤退された。同社はこの空港から離陸する、ある程度の規模の航空会社としては最後の存在であった。
現在、ペンドルトンから確認できる飛行機は、ポートランドへの短距離飛行を行う8席のターボプロップ機が1機だけだ。
それでも、この空港はインフラ維持費として10年ごとに1000万ドルから1500万ドル程度の補助金を連邦政府から受け取っている。ドローン産業の顧客を空港に受け入れる前は、「その補助金が使用されている理由を説明できない状況だった」とChrisman氏は語る。
この問題はまもなく米連邦航空局(FAA)にも認知されることとなった。FAAはペンドルトン空港への補助金の精査を開始。その結果、補助金の対象が3本の滑走路から2本へ、さらに1本へと減らされた。
同時期、オレゴン陸軍州兵はこの空港を250ポンド(約113kg)の「Shadow」ドローンの飛行試験に利用していた。ある軍曹がChrisman氏に対して、UAS分野での新たなチャンスが広がりそうだとほのめかした。
Chrisman氏はその軍曹の話を思い出す。「ここは飛行に良い場所だ。大きな空港があって、空には何もなく、地上にも何もない。これが未来だ。この未来に乗るべきだ」
実際には、ペンドルトンの「何も無い」ところはUAS業界への大きなセールスポイントであった。空港の舗道に立って北側を見ると、見渡す限り小麦畑だけが広がる。それとペンドルトンの心地良い気候を合わせれば、ドローン事業者にとっては最適な条件となる。
「われわれは『無』を市場性のある商品に転換した」とChrisman氏は語る。「何もない場所はどこにでもあると思うかもしれないが、実際はそう多くない」
さらに、ペンドルトンの「何も無い」ところは、当面は消失しないと思われる。オレゴン州の厳格な土地利用関連法のおかげで、この地域の農場は今後も非常に長く農場として維持される可能性が高いからだ。