中国のライブコマース界で2023年末に話題となったのが、教育系アカウント「東方甄選」の書籍販売企画だ。このアカウントは自らのチャンネルで、名作を含む紙の書籍を5000冊用意し、1冊たった1元で販売するというキャンペーンを実施した。このキャンペーンに対して、書籍をほぼ無料で提供することは文化的価値を軽視しているのではないかという批判や議論が巻き起こった。東方甄選は中国で有名な教育企業「新東方」の関連会社であり、教育業界の一員として書籍の安売りを推進しているように見られたことも反響を大きくした。東方甄選はこのキャンペーンは安売りではなく、フォロワーに感謝するためのプレゼントだと説明した。
書籍を1元で販売する行為の是非については、関係者によって見方が分かれている。消費者にとっては、ユーザー獲得のためのキャンペーンとして好意的に受け止められている。販売業者にとっては、書籍代や配送料を自ら負担してでも顧客を増やそうとする東方甄選の戦略を理解し、ビジネスとして一定の効果があると評価している。しかし出版業界からは、この行為が書籍の価値を低下させ、消費者の購買意欲を減退させると懸念され、反対の声が上がっている。スマートフォンが1円で手に入るようになったら、欲しい機種が1円で手に入るようになるまで待つようになるのと似ている。
日本では電子書籍は紙の書籍よりも安く販売されることが多く、また「Amazonプライム」などのサブスクリプションサービスも利用できる。しかし中国の電子書籍市場は異なる状況にある。Amazonは、電子書籍端末「Kindle」を中国で販売していたが、現在は撤退している。その代わりに台頭した中国の電子書籍プラットフォームは数多く存在し、非常に安価に入手できる。さらに紙の書籍であってもオンラインなら新品を割引価格で購入できるし、紙質の悪い海賊版を店頭で販売する書店も昔から存在する。このように中国では書籍を低価格で提供することが長年の慣習となっており、過去にも何度か大きな議論が起こったが、結論には至っていない。このような背景から、1元で書籍を配布することは出版業界にとって非常に不快な行為と見なされているというのが現状である。
過度な「書籍の低価格化」が進むと、出版業界の創作意欲が低下するのではないかと危惧されている。中国ではコロナ禍以降、経済に不透明感が増しているが、生活水準を高めたいという動機は変わらず、電子書籍で読んだものを紙でも所有したいという需要がある。そのため、高品質の紙で印刷された書籍が販売されている。
調査レポートによれば、2022年の書籍の平均価格は前年に比べて13.86%も上昇し、1冊当たり48.63元(約1000円)になったという。この価格上昇の要因としては、紙代や人件費、印刷費などのコスト増が挙げられる。一方で、2023年上半期には書籍の販売チャネルに大きな変化が見られた。実店舗や従来の電子商取引(EC)はそれぞれ前年と比べて23.55%と6.29%減少したのに対し、ライブコマースに代表される新しい販売形態は46.36%増加した。かつ、ライブコマースなどが客を呼び込むために書籍を過度に割引する傾向があるという。
このように物価や人件費は高騰する一方、消費者は書籍をなるべく安く買いたいと考えている。その結果として、出版業界には大きな負担がかかっている。紙の品質や内容のレベルが低下したり、給与が上昇しなかったりするなどの問題が発生する。それでも出版業界はこれまで価格破壊による深刻な打撃を受けていなかったため、なんとか存続していると言える。
中国では今、インターネット大手やスタートアップ企業の手によって生成AIを活用したサービスが続々と生み出されている。小説を自動で生成するAIも急速に品質が向上してきている。今後は、生成AIで執筆された作品がライブコマースで安価に販売されるようになるだろう。しかし、このような状況は、書籍に対する消費者の信頼を失わせ、知的水準を低下させる危険性がある。テキスト系媒体でも、他人の文章を無断でコピーする悪質な行為が見られる。テキスト作品を合理的にビジネス化しようとすると、生成AIの利用は避けられないのかもしれないが、その結果は文化的にも社会的にもマイナスのスパイラルを引き起こすだろう。
今回の1元書籍の販売を機に、中国の出版業界はそうした影響を懸念しているのではないかと思われる。
- 山谷剛史(やまや・たけし)
- フリーランスライター
- 2002年から中国雲南省昆明市を拠点に活動。中国、インド、ASEANのITや消費トレンドをIT系メディア、経済系メディア、トレンド誌などに執筆。メディア出演、講演も行う。著書に『日本人が知らない中国ネットトレンド2014』『新しい中国人 ネットで団結する若者たち』など。