大元隆志のワークシフト論

なぜ日本は生きづらいのか--「商売」と「ビジネス」の違い - (page 2)

大元隆志(ITビジネスアナリスト)

2013-09-30 07:30

 しかし、20年後の未来ならいざしらず、「今」の日本は世界でも高い賃金報酬(※1)と、低い失業率(※2)、職業選択の自由もあり、衛生面も整っている。日本をうらやましいと思う諸外国は無数にあるだろう。ほんの70年ほどさかのぼれば世界は戦争に明け暮れていた。今の日本ほど平和で衣食住に満ち足りた国は人類の有史の中でも数少ない部類に入るだろう。

 にもかかわらず、未来を悲観し、生きることに悩み、自ら命を絶つ人が後をたたない。確かに年金問題や少子高齢化、将来確実に迫る税負担を考えれば頭が痛くなる。多くの人はこれを「閉塞感」と表現する。日本人が「生きづらい理由」、本当に理由はそれだけだろうか。私には何か違う他の理由があるように思うのだ。

日本書記に見られる日本人の労働観

 本連載を始めるにあたって、歴史に興味を持つようになった。日本人らしい働き方とは何かを考えていると、そもそも「日本人らしい」とは何なのかが知りたくなったからだ。

日本書記に見られる労働観

 そこで日本の歴史書とされる「日本書紀」に関する文献を読んでいると、日本人の労働観についてハッとさせられるものがあった。

 まず、日本書紀の世界観では食べ物は保食神(うけもちのかみ)が「生んでいた」。口から食材を吐き出すのだが、ある時、保食神を訪ねた月読尊(つくよみ)が、口から出された食材を見て侮辱されたと誤解し、保食神を斬り殺してしまう。この時、保食神の遺体から稲・麦・粟・稗・豆といった五穀の種が生まれ出た。

 天界を収める天照大御神は、この五穀のうち粟・稗・麦・豆を畑の種とし、稲を水田の種とした。

 人間が生きるために必要な「食材」は神が作り出す神聖なもの。そこから生まれた種を植える田畑を神自らが保有している。歴史学者たちは日本書紀や古事記に見られる日本人の労働観は、労働は神様ですら行う行為であり、神様とともに働けることは人間にとって喜びであった、と解説する。日本人にとっての労働観とは「生き甲斐」なのである。

聖書に見られる労働観

 では、欧米的な労働観とは何かと思い、聖書の中に労働に関する記述があるかを調べてみた。

 聖書の創世記第3章、アダムとイヴの物語に人がなぜ「働く」ようになったのかが書かれている。アダムとイヴは神から「林檎」を食べてはならないと忠告されるが、ヘビにだまされたイヴが林檎を取り、二人で食べてしまう。すると「知恵」を身につけ羞恥心を覚える。これを知った神は忠告を破った二人に「罰」として、大地を呪い人は一生苦しみながら食物を取る義務を課せられた。  

 聖書の世界観では「労働」とは「神」の忠告に従わなかった人への「罰」であり、義務なのだ。

 ※1 UBSの『Prices and Earnings』のレポートによると、2012年の世界主要72都市の平均年収1位はスイス・チューリッヒ(533万円)。東京は376万円で8位
 ※2 日本の完全失業率は3.9%。米国は7.6%。2020年オリンピック開催を競ったスペインの失業率は26.9%

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