ビジネスと商売
英語では仕事のことを「ビジネス」と表現する。日本語でこれに近い単語は「商売」だろうか。この二つを辞書で調べてみると以下のような記載がある。
- ビジネス=個人的な感情を交えずに利益の追求のみを目的として進める仕事
- 商売=商品を仕入れて売ること。課せられている任務。職業。専門の仕事
ビジネスにはわざわざ「個人的な感情を交えず」と付与されており、冷徹な印象を受ける。反対に商売は必ずしも「利益」を追求しなければならないというよりは、任務であるとしている。
日本の三大商人と呼ばれる「近江商人」の哲学には「利真於勤(利は勤むるにおいて真なり)」という考え方がある。これは、利益はその任務に懸命に努力した結果に対する「おこぼれ」に過ぎないという考え方であり、営利至上主義に対するいさめなのだ。
個人的な感情を交えずに利益の追求のみを目的として進める「ビジネス」。課せられた任務をこなし、そこから「適切なおこぼれ」を貰う「商売」。
日本人にとって働くことは「生き甲斐」だったのだから、必ずしも「労働」の目的は利潤の追求ではなかった。しかし、働くことが「罰」である欧米的労働観では、労働から解放されるために必死で「利益」を追求しようとする。そんな違いがあるのではないだろうか。
日本人の信仰のルーツとも言われる「神道」とは
多くの日本人は「自分は無宗教」だと考えているのではないだろうか。恥ずかしながら、筆者も本連載で日本の歴史に興味を持ち「神道」と呼ばれる、日本最古の宗教があることを知った。正確に言えば神道は宗教ではなく、縄文時代から自然ともに生きる人々の間から自然と生まれた神観念であり、戒律や教祖といったものは存在しない。神社本庁に神道についての解説があるので紹介したい。
神道は、日本人の暮らしの中から生まれた信仰といえます。遠い昔、私たちの祖先は、稲作をはじめとした農耕や漁撈などを通じて、自然との関わりの中で生活を営んできました。自然の力は、人間に恵みを与える一方、猛威もふるいます。人々は、そんな自然現象に神々の働きを感知しました。また、自然の中で連綿と続く生命の尊さを実感し、あらゆるものを生みなす生命力も神々の働きとして捉えたのです。そして、清浄な山や岩、木や滝などの自然物を神宿るものとしてまつりました。