不自由さとクリエイティビティの関係
Eric 不自由さは関係があると思いますか? 今は、どんな機能のものでもiPhoneのアプリで安価もしくは無料でいろいろなことができてしまう。高価な機材を買いそろえる必要がある当時とはかなり違う環境だと思うのですが。
松武氏 確かに、不自由さとクリエイティビティには何らかの関係があると思う。当時は目的としているもの、意図したものに簡単にたどりつけないので、自分たちが満足するために努力と勉強をするしかなかった。(今のように)ボタンを2つくらい押すと簡単に欲しいものが出てきてしまう、という状態では、クリエイティブなものは生まれてこないと思います。不完全な答えのないものについて答えを出そうとすることは絶対に必要で、私にとってはシンセサイザーがそういう存在だったのです。
当時のシンセサイザーにはPCのような記憶装置がなかったので、書いて覚えるしかなかったのです。電圧でも音が変わるような楽器だったので、毎回それらしきものはできるが、完全に同じものはできない。なんとかして「やる」、という不自由さからくる意地のようなものはあったと思いますね。音楽産業革命という言葉があるかどうかわからないが、音楽産業革新ができるのであれば、技術を使い、今の状況と昔の不自由だったものをうまくつなげて革命をおこせないでしょうかね。
音楽はなぜ高音質にならない? 映像、テクノロジとの連携の違い
Eric 音楽と映像は似たようなメディアなのに、なぜか違う方法に向かっていると思います。映像は4K/8Kなど、どんどん良くなっているし、YouTubeのように個人のコンテンツ(UGC)が受け入れられている。しかし音楽については、SACDなどの高音質が受け入れられていない。それについてはどうお考えでしょうか?
デロイト トーマツ コンサルティング パートナーの松永 エリック・匡史氏
松武氏 「秋葉系」の人が打ち込みをやってレコードを作り、ネット上でああでもない、こうでもない、とやっているが、それはとても良いことだと思う。それで良い企画やCDが出てくることもあります。しかし音について良い、悪いの判断ができなくなっているのではないでしょうか? 最初から、どうせ圧縮して聴くんだろうと思って制作している。良い音を作っても、それを聴く装置を持っている人がどれだけいるか。聴ければいいと考えている。それと、音楽をステレオで大音量で、ではなく、イヤホンで聴くという環境の変化もあると思います。昔は大音量で音楽を聞いていても大丈夫で、近所から苦情が来ることもあまりなかったですからね。