最良の型は必ず通用しなくなる
効率性とは、ある種の型を極めることである。無駄なく、それさえやれば、しっかりと成果をあげられるモデルを作り上げること。そうしたビジネスモデルがひとたびでき上がれば、社員はせっせとその車輪を回すことになる。
その仕事がルーティン化することで、型は黄金期を迎える それをやるだけでお金が入ってくる仕組みとなるのである。 結果、従業員は誰もその型を疑わなくなる。 従業員は何年もその車輪を回し続ける。仕事はそれ以上でもそれ以下でもなくなる。
しかし、 時代の変化とともに、その型はだんだん通用しなくなってくる。 一度ルーティン化したものを変えることは難しい。ただ人が考えなくなるから、だけではない。 過去の資産が変化を拒む要因となりうるからだ。
バカげた事例を紹介しよう。 恥ずかしながら、弊社で起きた話である。
使わないシステムにお金を支払い続ける
インターネットが使われるようになってきたころ、弊社ではウェブ上で使えるグループウェアを導入した。それまで社内でしかできなかったディスカッションが、文字という媒体ではあるが、ネットさえつながっていればどこからでもできるようになった。
出張が多い弊社にとっては大変ありがたい仕組みであった。さまざまなディスカッションがこのソフトウェア上で展開された。お蔭で会社の業務は大幅に効率化した。
しかし、時代は変わる。 数年たつと、そうしたサービスを超える新しいサービスが次々と生まれてきた。文字どころか音声や動画でさえも交換できるようになってきた。 結果、次第にこのグループウェアを使う意味がなくなってきた。 そして遂に、新しいシステムが社内に導入されることとなった。
しかし問題はここからだった。
本来、新しいシステムに引き継ぎがなされれば、旧モデルは終了、で済むところであったが、そうはいかなかった。 われわれが使っていた旧サービス、「よく」できていて、グループウェア上のデータを一括で取り出せないようになっていた。データを取り出したければ、一つ一つ文章をコピーしなければならない。
実にめんどくさい。 かといって貴重なディスカッションデータを捨て去るわけにはいかない(これらのデータは弊社のコンテンツ制作の宝庫になっていた)。 ただ一つ一つコピーしてデータを移すには時間と労力がかかりすぎる。
結果、そのサービスを直接的には使っていないのに2年間、料金を支払い続けることとなった。 そんなバカげたことに終止符を与える役割を仰せつかったのは、会社に入ったばかりの私だった。