前篇で参照した島崎藤村の「夜明け前」からもう少し引用してみよう。
以下の文章は主人公の青山半蔵が自らの所轄である木曽街道の馬籠宿を往来するヒトやモノの交通から、時代の新たな局面をコトとして解読する場面である。
文久二年には薩摩藩尊王派の有馬新七らが他藩の尊王派志士と寺田屋騒動を起こしたり、会津藩の松平容保が京都守護職に任ぜられたり、孝明天皇に拝謁するために一橋慶喜が西下したりしており、維新の胎動の中心は幕府=江戸から天皇=京都へと移行しつつあった。ちなみに、新撰組結成、蛤御門の変などは翌文久三年の出来事である。
年も暮れて行った。明ければ文久三年だ。その時になって見ると、東へ、東へと向かっていた多くの人の足は、全く反対な方角に向かうようになった。時局の中心は最早江戸を去って、京都に移りつつあるやに見えて来た。
それを半蔵は自分が奔走する街道の上に読んだ。彼も責任のあるからだとなってから、一層注意深い目を旅人の動きに向けるようになった。
同小説における街道は「インターネット」であり、宿場は「情報」が時々刻々と更新されるキュレーション的な「メディア」である。その熱心な読者である青山半蔵はそこに自らの文脈に沿って意味を読み取った。
ことほどさように「情報」の受信者というものは自律的で主体的な存在なのだ……と結論づけるのは容易ではあるけれども、現代における情報環境はそれほど簡単に話が済むほどシンプルな時代ではないこともまた事実だ。
島崎藤村「夜明け前」Amazon 画面部落差別問題をテーマとした「破戒」や自身の近親相姦事件を扱った「新生」などで有名な作家・島崎藤村が晩年に執筆した長編歴史小説「夜明け前」。文庫版でも第一部上下、第二部上下の計四冊に渡る大作
2016年11月22日は米国のスタンフォード大学が中学生から大学生までの7804人を調査対象としたITリテラシーに関する実験結果を同大学のウェブで公開した。
この調査資料によれば、「福島の原発事故によって奇形となったヒナギク」と題された写真(本当は原発とは何の関係もない)を60パーセントの学生が偽の情報と見抜けなかったと報告している。ほかにも、80パーセントの学生が通常の記事と広告の記事の差異を判別できなかったとのことである。
米国のスタンフォード大学が2016年11月22日に発表した学生のITリテラシーに関する調査報告。この内容を“ほとんどの学生が騙される”と読むか、“騙される学生ばかりではない”と読むか……、意見の分かれるところだろう スタンフォード大学調査報告
これは巷間よく言われる「インターネットの情報は玉石混交」という警句を保証するかのような記事に見えるが、裏を返せば、「福島の原発事故によって奇形となったヒナギク」を40パーセントの学生がのフェイク写真であると見破り、巧妙に仕立て上げられた広告記事を20パーセントの学生が通常の編集記事ではないと看破できたということでもある。
DeNAにおける諸問題は何もマスメディアが先行して問題視したわけではない。スタンフォード大学の実験調査においても判明した“もう嘘が通じない”人々によって杜撰なコンテンツ制作とメディア運営方針を見抜かれたのだ。
インターネットはどこかでかならず飼い犬の手を噛む。筆者自身もこれは常に忘れることなく心に留めておかねばならないことであり、同時に今後ますます、メディアに携わるすべての人々、さらにはメディアに広告を出稿しようとする企業は肝に命じておくべきだろう。
ユーザーや読者たちオーディエンスの中には、情報の発信者=メディアが想像している以上に“もう嘘が通じない”人々があふれている。
- 高橋幸治
- 編集者。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、1992年、電通入社。CMプランナー/コピーライターとして活動したのち、1995年、アスキー入社。2001年から2007年まで「MacPower」編集長。2008年、独立。以降、「編集=情報デザイン」をコンセプトに編集長/クリエイティブディレクター/メディアプロデューサーとして企業のメディア戦略などを数多く手がける。「エディターシップの可能性」を探求するミーティングメディア「Editors' Lounge」主宰。本業のかたわら日本大学芸術学部文芸学科、横浜美術大学美術学部にて非常勤講師もつとめる。