受け手のモデルを考える
情報デザインを行うにあたってはまず、伝える直前 (案内版やポスター、プレゼンテーションならばそれらを見始める・聴き始める瞬間) に、情報の受け手であるユーザーがどのような情報や意図を持っているか、何に意識が向いているかなど(すなわちユーザーのモデル) を想定せねばならない。UXデザイン全般に通ずる話である。
もちろん、ユーザーやその状況により幅が大きいので細かく想定し切れるわけではないが、ユーザーが知らない・分かっていないかもしれないことや、伝える情報のうち何を真っ先に知りたいか、何を知るのが安心や納得につながるかなどを整理しておく必要がある。
プレゼンテーションスライドであれば、あるページで伝えたい情報に関して、その直前のページまででユーザに伝わった情報とどういう関係にあるかなど考えてデザインせねばならない。また、直前のページまでで、ユーザーが得ている情報や意識の向き先といった状態がどうなっているかを想定、考察し、自分が意図する適切な状態になっているかどうかを検討せねばならない。何をどういう順番で伝えるかも、情報デザインの重要な要素である。
一般的に、ある情報を伝える際には、まずは何に関する情報なのか(「情報のエリア」と呼んでおく) に受け手の意識を向ける必要がある。いきなり何かを伝えられて「何の話?」と聞き返した・聞き返された経験は誰にもあるだろう。
その情報のエリアに明らかに意識が向いている状況でなければ、まず「その情報のエリアに意識を向かせる」ための何か (これもまた「情報」であるが、「メタ情報」などと呼んで区別する) を伝えなければならない。
一連の情報を伝える場合は、まず大きくどのエリアの情報なのかが明確である必要があるし、今この瞬間伝えようとしている部分はその中のどの小さなエリアに意識を向けるべきかが明確になっている必要がある。
スライドやポスター、あるいは文章などでは、タイトルや見出しにはこの意識を向かせるための情報としての役割もある。 適切なタイトルや見出しを付けないと読者すなわち情報の受け手は迷い・惑い (多くの場合良くない UX である)、適切に情報が伝わらない。タイトルや見出しで伝えられることは限られているが、限られた短さやスペースで伝えるときこそ、適切に伝えることがより重要となる。これも情報デザインであることを意識し、よりよくなるように心がけねばならない。
タイトルや見出し以外にも、話の流れ、論理の流れなども、受け手の意識がどこに向くかに大きく影響する。論理の構造はまさしく情報の構造であり、情報デザインとはそれをできるだけ分かりやすく見せるためのものである。
そして、一連の情報を伝え終えた状態もよく考えたい。例えばまだ続きがあるのか、ないのか、が分かりづらかったりすると受け手にとっての負担が無駄に大きくなる。終わりがはっきり分かるとしても、プレゼンテーションの最後で「ご清聴ありがとうございました」のスライドを出し、その後の質疑の時間でもそのまま出ていたりするのは聞いている側としてはあまりうれしくない。
情報デザインの(副次的)効果
適切に情報デザインを行うには、伝えたい情報をよく理解して整理できている必要がある。逆に、伝えたい情報の構造などに沿ってそれを強調するような設計をしようとすると、自ずと理解できていない部分、整理しきれていない部分などが明白になることになる。つまり、「情報デザイン」は伝える側の人々の理解を深め、考察などを進めるための手段としても有用なのである。
「他人に説明しようとすることで理解が深まる・見落としなどに気がつく」という経験は多くの人にあるだろう。
プログラミングの世界では、デバッグで苦しんでいるときに、その内容を誰かに説明することで原因の発見につながることが多々ある、という経験則も語られている。
説明する相手は人間に限らず、人形やぬいぐるみなどでもよいということも知られており、「くまさんデバッグ」、英語では rubber dack(ゴムのアヒル) debuggingあるいはrubber dackingなどと呼ばれている。
これは、自分の頭の中にある情報を外に出し、他人に説明する・伝えるために無意識レベルで情報デザインが行われ、そのために情報の整理が行われており、それが自分にフィードバックされている、ととらえていいだろう。
言葉にすること、すなわち言語化自体もある種のデザインが入るといえる。図やメモを書きながら考えるなど、より意識的に情報デザインを行うことで、その効果は増大するはずである。
つまり、意識的に情報デザインを行うことは、伝えようとする側にもよいエクスペリエンスをもたらすのである。そして、伝えたいことが伝えたい相手にすっと伝われば、それはもちろん情報の送り手・受け手双方にとって良いエクスペリエンスとなる。