課題解決のためのUI/UX

改めて考える人工知能とUXの関係--AI時代の人間不要論は本当か

綾塚祐二

2019-12-17 07:00

 2016年に囲碁AI(人工知能)「AlphaGo」と対戦した囲碁棋士の李世ドル氏が、「AIには勝てない」という理由でプロ棋士を引退するニュースがしばらく前に報じられた。また一歩時代が進んだことを感じさせるニュースである。一方では、AIの導き出した結果に差別的な言動が含まれるというような問題も出てきており、さらなる危険性についてもいろいろと論じられている。

 過去の記事でもAIに対する過信や不信、誤解などがもたらし得るユーザーエクスペリエンス(UX)について論じたが、技術や社会の情勢が進み、より現実的になってきた課題も多い。今回は改めてその辺りを考察してみる。

「人間を超える=人間は不要」なのか

 AIの発展に関しては、「人間の仕事が奪われる」といった論調も一時より下火になったが、それでも相変わらず多い。現に李氏も「AIには勝てない」としてプロ棋士を引退するという。しかし、李氏はプロを引退するだけで、囲碁を打たなくなるわけではないそうだ。

 人工知能が人間の能力を上回ったとしても、その行為自体が無くなるわけではない。これは歴史的に見ても明らかである。例えば、「走る」能力では人間は自動車に全くかなわないが、短距離走やマラソンをはじめとする陸上競技や廃れていない。腕力に関しても、さまざまな作業機械が発達しても、いわゆる力仕事が全くなくなったわけではない。

 これらの例は、もともと人間以外に能力で上回る動物がいたため、受け入れやすかったという可能性はあるだろう。それでも、産業革命の時代にはラッダイト運動などの反発も少なくなかった。これまでに人間を超えるものと接することはなかった知的能力の領域(少なくとも人間はそう思っている)になると、より大きな反発が起こっても不思議ではない。

 しかしこれも、単純な計算を大量かつ正確に、疲れもせずこなすとなると、計算機が数十年前の時点で既に人間を凌駕している。誰でも便利に使っているのは言うまでもないだろう。それを考えると、環境の変化があまり急激でなければ、AIのようなものも比較的穏やかに受け入れられていくのかもしれない。

たとえ人間を超えたとしても

 先日、漫画家の山田胡瓜氏が描く近未来SF漫画「AIの遺電子」が人工知能学会のAI ELSI賞を受賞した。これは、社会とAIとの関係やAI技術の倫理面で貢献した活動を表彰するもの。その山田氏の別の作品「バイナリ畑でつかまえて」に「コンピュータがひらめく時代になったからって人間がひらめいちゃいけないって決まりはない」という言葉が出てくる。まさにその通りであろう。そして、そういうモチベーションを高めるようなエクスペリエンスがAIなどによってもたらされるならば理想的である。

 また、Ted Chiang氏のSF小説「人類科学の進化」では超人類たちが人類の理解を超えてどんどん科学を進展させていき、人類の科学がその後追いしかできない世界を描いている。そこでの人類はそれでも一歩一歩、自分たちで科学の理解と発展を進めていく、という姿勢を見せている。それもまた、人類社会としてあるべき姿なのであろう。

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