前述したように、社会化も2つの視点から捉えることができる。1つは、人が積極的に組織人になろうとし、組織に適応しようとする視点だ。もう1つは組織が経営目標のために、人を教化し、順化させようとする視点だ。
問題は、この2つの社会化の過程においては、人と組織との互いの意図するところが合致しない場合があるということだ。
組織は一般に、様々な価値観を持つ個人で構成されており、多様性に富んでいる。多様性を認めない組織は不信感で満たされるだろう。そこで、人と組織が相互に信頼しあう関係が必要だ。人が組織に求めることと、組織が人に求めることが、うまくバランスしていることが重要となる。組織による行き過ぎた順化は、信頼関係の敵だ。
組織は最終的に「無能」な人で満たされる?
Super氏の5段階説によれば、キャリアの発展段階において探索期から確立期を経て、維持期に入った状態を「plateau(プラトー、高原状態)」と呼ぶ。伸びがなく安定を保った状態だ。
プラトーに早くなる人や、なかなかならない人など、到達する時期の違いはあるが、人はいつかプラトーに達する。プラトーが続くようならキャリアの限界(成熟)に達したと判断できる。
キャリアの限界、あるいはキャリアの障害となる要素について、Laurence. J. Peter氏は、面白い法則を提案している。それは、「ピーターの法則」として知られている次のようなものだ。
組織において、すべての人が昇進できるわけではない。ポストや役割には限りがあり、有能であると見なされた人だけがポストを獲得する。つまり、「その組織において人は能力の限界まで昇進し、無能と見なされるレベルの1つ手前まで出世する。やがて、組織のすべてのポストが無能と見なされた人で占められる」という説だ。
もちろん、あるポストで無能と見なされた場合でも、仕事の内容と、その人の適性や能力とがミスマッチである可能性も考えられる。こうした障壁がある場合は、組織におけるキャリアマネジメントの能力が問われる。
近年、キャリアデザインが声高に語られてきたため、キャリアを形成していく責任の主体は個人である、という雰囲気ができあがった。しかし、企業側の責任、あるいは上司の責任が、なくなったわけではない。
人的資源は経営の柱であると考えるなら、潜在能力の高い社員を見出し、キャリア開発を支援する責任は経営の側にもあるはず。キャリア開発は、優秀な人材が組織から離脱するのを防止し、定着させるのに役立つからだ。
近年の不況の中、改めて「社員はコストか、財産か」といった議論もあったようだが、目先の数字ばかり追いかけ、社員のキャリア開発に目もくれないような会社は、好不況にかかわらず「御先真っ暗」だと言える。皆さんの会社は、「人材」の重要性を認識し、社員のキャリア開発を支援してくれているだろうか。
以上、今回は社員の人生にも関わる「キャリア」について見てきた。次回は「成果と評価」について見ていきたい。