企業のグローバル化がますます進んでいる。その結果、外国人上司の下で働くことも増えてくるだろう。外国人上司と日本人上司では、どのくらい考え方が違うのだろうか。両者の間にプロジェクトマネジメントで異なる点はなにか。
今回、ソフトウェア開発における外国人上司と日本人上司の意思決定の違いについて、匿名の経験者に話を聞いた。氏は誰もが知る日本の大手電機メーカーのグループ会社を経て、現在は外資系IT企業に勤務している。日本企業では日本人上司と、現在所属する企業では外国人上司と仕事をしており、ソフトウェア開発の進め方に大きな差異があると語ってくれた。
1. 「ベストケース」と「ワーストケース」どっちを選ぶ?
たとえば、新規のソフトウェア開発プロジェクトがあるとしよう。トラブルがなく、すべてが順調であるなら3カ月でできるかもしれないが、何かトラブルがあれば9カ月かかるかもしれない。
こういう時、トラブルがあった場合の最悪のケースを想定し、迷わず「9カ月」のスケジュールを選ぶのが外国人上司だ。スケジュール内にプロジェクトを完成できないことのほうが重大で、結果として順調に進み、早く完成できたら、それはそれで良いと考えている。
一方、日本人上司の場合は、たいてい「3カ月」を選ぶという。日本人は、相手(上司の上司)への「良い印象」を重視するから、期待に応えようとする。また、失敗を嫌う傾向があるので、必然的にベストケースを想定することになる。そのため、最短のスケジュールを選ぶのだという。
タイトな3カ月スケジュールでも、プロジェクトが何事もなくうまく進めば、誰よりも短期間で開発して完成させ、他社を出しぬくことができる。しかし、ソフトウェア開発は不確定要素も多く、トラブルや手戻りでスケジュールが押してしまうことが多いのも事実だ。その場合、計画通りに完成させるために、最後は残業につぐ残業が続くことになる。そうなれば、まさに「デスマーチ」だ。なんとかやり遂げたとしても、プロジェクトが終わった頃には、メンバー全員がクタクタに疲弊している。だが、その疲れを癒す間もなく、次のプロジェクトが始まるのだ。
2. もし、失敗してしまったら?
無理なスケジュールでも、運が良ければプロジェクトはうまくいく。しかし、いくら頑張ってもスケジュール通りに完成しないこともある。最悪の場合、それは失敗プロジェクトになる。
こんなとき、外国人上司は反省会を行う。これは、責任を追求するというよりは、失敗を共有するために行う。同じ失敗を繰り返さないために、プロジェクトのメンバーだけでなく、プロジェクト以外の人たちとも情報を共有することが目的だ。
一方、日本では、失敗したプロジェクトはたいてい忘却の彼方に追いやられる。それは「失敗が許されない」文化のせいだ。日本の場合、失敗すると誰かが、どこかの部門が責任を取らなければならない。だから、そのプロジェクトが「存在しなかったこと」にするのがいちばんなのだ。
プロジェクトは文字通り消えてしまう。そのおかげで誰も責められることはない。ただ、消えたプロジェクトを共有することはないため、他のプロジェクトで同じ失敗を繰り返すこともある。