OTTの主要なサービスの一つにSNSがある。SNSはその名のとおり、インターネット上の“社会”であり、友人や知人などを中心にさまざまなコミュニケーションを楽しむためのサービスである。しかしながら、利用者が増えると残念ながら良からぬ輩が出てくるというのも、“社会”である。Facebookなどで知人のフリをして友達申請を受けた方も多いと思われる。実際になんらかの実害を受けたユーザーもあり、Facebookの利用者数の伸びが止まった、あるいは減少しているというニュースを耳にしたことがあるのではなかろうか。
また、アプリケーションやコンテンツは、その寿命が比較的短いことを特徴として内包している。ユーザーはすぐ飽きるし、そのスイッチングコストは限りなく低いのである。さらに、ユーザーが増えれば、それに対応する形でサーバーなどの設備の増強が求められることもあり、OTTも必ずしも天国というわけではないのだ。このように、キャリアにはにらまれ、だからといって自身も多大な利益を上げているわけではない存在、それがOTTの本質なのである。
先に、OTTには唯一の定義がない、という話をした。キャリアのネットワークの上でアプリケーション・コンテンツを提供し、それによりキャリアのアプリケーション・コンテンツサービスを垂直統合したモデルを破壊し、だからといって自分自身も多大な利益を享受しているわけでもない存在の総称、それがOTTなのである。
では、OTTの出現により誰がその利益を享受しているのであろうか? ユーザーはさまざまなアプリケーション・コンテンツを無料で、あるいは低料金で利用できるようになった。フィーチャーフォン(いわゆるガラケー)時代にはアプリケーションをダウンロードしたことがなかったユーザーも、スマートフォンになってからはアプリもコンテンツもダウンロードしているのではなかろうか?
また、ソフトウェアエンジニアの雇用にも一役買ったのではなかろうか。OTTへの対抗措置の第一ステップとして、キャリアもソフトウェアエンジニアの採用を活発化させている(これについては連載の別の機会で触れることにしたい)。とはいえ、本来であればOTTの存在を一番喜ぶべきなのはキャリアなのである。OTTはキャリアのサービスの利用を促してくれる存在なのだ。
他の産業であれば、自社のサービスの利用を促してくれるような存在は、サポートこそすれ敵視することなどありえない。例えば、集客力の高いショッピングセンターや観光施設あるいは高校や大学などが、ある鉄道路線の沿線にできたとする。その鉄道会社にしてみればありがたい存在に間違いない。鉄道の利用を促してくれる存在がうれしくないはずがないのである。
しかしながら、OTTとキャリアの間にはこの関係が成り立たない。次回、連載第4回目にこの問題について考えてみようと思う。
- 菊地 泰敏
- ローランド・ベルガー パートナー
- 大阪大学基礎工学部情報工学科卒業、同大学院修士課程修了 東京工業大学MOT(技術経営修士)。国際デジタル通信株式会社、米国系戦略コンサルティング・ファームを経て、ローランド・ベルガーに参画。通信、電機、IT、電力および製薬業界を中心に、事業戦略立案、新規事業開発、商品・サービス開発、研究開発マネジメント、業務プロセス設計、組織構造改革に豊富な経験を持つ。また、多くのM&AやPMIプロジェクトを推進。グロービス経営大学院客員准教授(マーケティング・経営戦略基礎およびオペレーション戦略を担当)