死に至るまでの数年間、Turing氏はこれまで国家を支援してきたにも関わらず、その国から苦しめられていた。1952年Turing氏は、当時同性愛が違法とされていたにも関わらず男性と不適切な関係を持ったとして有罪判決を受けている。Turing氏は入獄するかわりに、化学的去勢を行うことを条件とした執行猶予の判決を受け入れた。これにはさまざまな不快な出来事がついてまわり、Turing氏は英国情報機関政府通信本部での職を失ったほか、継続的に警察の監視下に置かれ苦しんでいた。
検視の結果は自殺だとされたが、Turing氏は事故死ではないかとの疑惑もあった。自宅で行っていた実験により、シアンガスをうっかり吸い込んでしまったのではないかというものだ。遺書がなかったことや、翌週にやることを楽しそうに計画立てていたことなどが、この疑惑を裏付ける証拠として挙げられている。
しかしDermot Turing氏は、同氏の父とTuring氏とがやりとりしていたメモの中で、当時のTuring氏が死につながるような不安を抱えていたことを知る。
「そのメモの中には、叔父が当時つき合っていた男性と問題を抱えていたようなことも書かれていたんです」とDermot Turing氏は言う。
「Royという男性について書かれていました。Royとは誰なのか、結局わからないままでしたが、新たなスキャンダルが明るみに出る可能性はあったようです。私の解釈が正しいとすれば、当時の叔父の精神状態がどのようなものだったか、あらためて考えさせられます」
一部では、Turing氏はロシア人の二重スパイが米国政府の重要な地位に就いたという事実を知り、その隠蔽のためにFBIに殺害されたのではないかという憶測まで出てきている。この説を主張する人たちは、Turing氏が戦時中ソビエトからのメッセージを解読していた時にこの情報を入手したとしている。
しかしDermot Turing氏は、叔父の検視が死後数日以内に行われたことから、そのような複雑な隠蔽工作はなかっただろうと考えている。
「私の父は、叔父の訃報を火曜の夜に受けました。その夜、父は映画に出かけていて、帰宅すると月曜に亡くなった叔父の検視が木曜に行われるという電話メモが残されていたんです。検視の日程はすぐに決まりました。証拠に細工をしたり隠蔽したりする時間はなかったはずです」(Dermot Turing氏)
Turing氏の知られざる日々
Turing氏は、コンピュータサイエンスの基礎を築いたとされる論文にて「ユニバーサルマシン」を考案したことで知られているが、彼を最も有名にしたのは、ドイツ軍がメッセージを暗号化するために使ったEnigmaコードを解読したことである。