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脳と人工知能--AIはどこまで人間に近づいているのか - (page 2)

松田雄馬

2017-05-12 07:00

だまされることがなぜ必要なのか

 だまされやすいということは、実に頼りないもののように感じられる。私たちの目というのは、なぜ、だまされやすいのだろうか。

 実は、だまされるということは、私たち人間にとって、不可欠なものなのである。それを実感するために、次の図をご覧いただきたい。


 この図の真ん中に、白い逆三角形のようなものが見えるだろうか。

 よくよく考えてみると、これは実に不思議な現象である。

 実際は白い逆三角形など、どこにも存在しないにも関わらず、私たちはそれを「見る」ことができる(この図は「カニッツァの三角形」と呼ばれている)。

 この現象が、どのように、ご利益があるのか。それを知るために、さらに、次の図(※)をご覧いただきたい。


 この図は、コンピュータから見た「写真」の様子を表している。

 私たち人間がこの図を見ると、馬が草原にいて、その背景には山々があり、山の麓には村がある、という様子を知ることができる。

 ところが、コンピュータにとっては、この図は、そんな豊かな情景とは何の関係もなく、左側に拡大されているような、無味乾燥な単なる「ピクセルの羅列」なのである。

 実際に、この図の中に「馬がいるのかいないのか」と問われれば、「単なるピクセルの羅列以外に存在しない(馬などどこにも存在しない)」というのが正解であり、私たちは、そこに馬がいるように誤解している(だまされている)のである。

 だが、そんな理解をしていて、日常生活を送れるだろうか。

 結局のところ、私たちは、だまされることで世界を見ているのである。換言するならば、だまされることなしに世界を見ることができず、だまされることなしには、生きていくことすらできないのである。

 新聞、雑誌、テレビ、PCやスマートフォンの画面などを拡大してみると、次のような見え方をする。


 先ほどの「カニッツアの三角形」と同様に、ABCなどの文字を私たちが読んでいるのも、正確には、「読んでいると錯覚している」のであり、だまされているのである。そして、だまされることなしに、文字を読むことは到底できない。

 すなわち、だまされることなしに、社会生活は送ることはできないと言えるかもしれない。

 まさに、だまされることと、社会生活を送ること(生きること)は表裏一体なのである。

(※)この4月に発売された拙著「人工知能の哲学: 生命から紐解く知能の謎」から抜粋

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